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2009年10月 2日 (金)

甘いだけじゃないSweet

その日の仕事は、ふもとの街で、結婚式につかうのだという

「ブコサラダ」(まだ若いココナツの果肉の、細いスライスとフルーツのサラダ。コンデンスみるくでめっちゃ甘い)

用ココナツの収穫だった。

私が今まで会ってきたほとんどの農家は、「注文」や「街に行商にいく」という単発仕事に応じて、の収穫作業が主だった。
シーズンにもよるだろうけど、出荷とかじゃないからスケジュールもない。
その日ぐらし。

お父さんが木に登って、息子が下で割り、お母さんが中身を削る。

暑くて、することないし。先に家に入るように、って言われたけど。
セシルも帰りたそうだったけど。


何もできなくても、暑さ大変さを、肌で感じたい。
この家にこさせてもらった意味を、時間ないけど。
見出さなくちゃ。うまく言葉でつたえられない、私を姿から理解してもらわなくては。
じりじり肌を焦がす太陽の下、同じ土の上で時間を過ごした。

・・・

昼ごはん、ジェフリーって16歳兄ちゃんの手伝いをした。
アンパラヤ(ゴーヤ)の葉っぱとモンゴ豆の、緑味のスープ。
妹のロレーナ(10歳)といっしょに、庭のカラマンシー(小さいスダチみたいなの)を収穫した。


サラダ用に加工して、収穫したブコ。どう届けるか、が問題のようだった。
結局、私たちの出発といっしょに、エルマー兄ちゃん(18歳)が担いでいくことに。

お兄ちゃん、たとえ荷物運びでも、街へ降りるからお気に入りの服着て、香水つけて髪の毛立てて、おしゃれも準備万全。



歩いて、家を出発した。
時間は正午すぎ。
太陽は真上で影もなく、恐ろしく暑く陽射しの強い、道をひたすら歩いた。

セシルは疲れ足取り重く、失速していく。
ブコが詰まった重い箱を、肩の上に担ぐエルマー兄ちゃんも、辛いはずだ。自分のペースを守りたい。
距離が離れていく2人のあいだを、どっちつかずと歩く私。

お兄ちゃん、一緒じゃなければもっと楽だったろうに。なんだか申し訳なかった。
2人を無事に街まで、送っていかなくてはという責任も、ブコにくわえて重かっただろう。

話しかけるのもわるい、でも暑くて重くて辛い・・・
何か、できないものか。考えた私は、
歌うことにした(!?)

最初は、なんか知ってそうな、英語の曲。カントリーロードとか、ビートルズ系。
しかしネタも限られている上、疲れて英語もでてこなくなる・・・
もう、やけくそ?で、知ってる日本のJ-popを片っ端から、、
aikoからスピッツ、キロロにウルフルズ・・・宇多田ヒカル・・・一人カラオケ。。。

エルマー兄ちゃんの背中に向かって、へたくそでも気休めにしてくれ!と
歌い、歩いたのでした。

1時間以上、炎天下の中を歩いただろうか。
不意に、街の方角から、バイクに乗った彼の友人がやってきた。
連絡を聞きつけて、迎えに来てくれたのだ。



「のりな。」
汗をダラダラ、息もはずんで辛いはずなのに。
ためらいもなく、エルマー兄ちゃんは初めて見せてくれた笑顔で、
友人のバイクにあたしとセシルを乗るように、促した。

うれしい、もう歩かなくていい。
でも、兄ちゃんは、まだ、この恐ろしく長くて暑い道を一人歩き続けるの?

申し訳なさ過ぎて、でも言われるまま乗って。
バイクでウソみたいに風をきる中で、ずっと考えていた。

2人のよく知らぬ、なにをしにきたかもよく分からないやつを、
重いもの持ってる自分より先に、行かせてくれたのだ。



「フィリピン男は“Sweet”」
いう表現を、きいたことがある。
実際優しいし、日本人なら恥ずかしくてできないような、優しさを甘ったるいと感じることもある。

でも、「弱い者に優しい」は、あたりまえのように
小さい男の子から、大人までわきまえている。それって、すごいと思った。

マニラでも、ジープは女性やお年寄りをかならず座らせてくれる。
重い荷物は、必ず男が持つ。

田舎の村で、まだ小さい赤ちゃんが、みんなにkiss kissされている場面をよく見る。愛情をいっぱい受けて、成長するから。
貧しくても、家族で協力することを知り、優しくておおらかに育つのかもね。

兄弟は多いほうがいい!結論!!10人は遠慮したいけど・・・

フィリピンでの“Sweet”は、「やさしい」「甘い」
「思いやりがある」
いっぱい該当する。

いったいどの訳が、妥当なのだろう。

・・・

でこぼこ道は、3人乗り50ccバイクを降り。
ゴルフコースを横切った。「カンルーバンゴルフコース」って、たぶん日本人とかよくいるんじゃないかな?
街のちかくには、きれいな家々。
完全に、分けられている社会 を感じた。


バスストップについて、すぐに友人は今度こそエルマー兄ちゃんを迎えにいった。
着いて、しっかりお礼がいいたかったのに。
すぐ、どこかへぴゅーっと、遊びにでかけた。

また、18歳イマドキ兄ちゃんに戻ったのね、よかったよかった。いっぱいあそんどいで。笑
フィリピンらしいや。

急にお葬式によることになって、
そんなこんなで最終日は夜中の12時ころ、マニラのNGOオフィスに戻った。
私の、農村トリップは終わったのだ。

着いたら、スタッフの皆が笑顔で迎えてくれた。
アテ・バンジーの旦那、もと軍人で片腕・片眼のダニーが
「何を感じた?」「どう思った?」「何が問題で、解決方法は?分析できたのか??」
酔った勢いで、質問攻めにしてきた。

聞かれるのはあたりまえ。そして、私もこんなにいろんな家庭に、スタッフに、人々にお世話になって。答える責任があるのは、わかってる。

でも、その時かろうじて口からでたのは、
どれも陳腐な言葉、ばかりで。



・・・

なんだろう。やっと、何がわからないのか、わかった感じだった。
きちんと話せたわけじゃないし、ぜんぶ理解できたなんてウソだけど。

その土地、その土地で、人々の暮らしにいれてもらって。
最初は自分、「お客さん」「ガイジン」でも、だんだん手伝ったり、いっしょにご飯食べて寝るうちに、
「リエコ」として見てくれる、まなざしがやさしくなって。
私も、なにもできないけれど、おんなじ場所と時間を過ごして。
言葉にならない、形もない、でも大切なものを、ものすごく
収穫させてもらった。

一旦は区切るけど。
もっと勉強、理解したいと心から思った。
関係をつづけていきたい、出会った、出会えた人々と。

【6月28日 87にちめ  ラグナ州カランバ市バラグバグアラウ村⇒ マニラへ】

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