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2009年12月

2009年12月31日 (木)

09

雪がふりました。

いつのころか、雪がふってもはしゃがなくなって

一年ぶりに、実家でむかえる大みそか
今日はなんだか、雪が
むしょうにうれしい。

まっしろに 足跡つけて歩いた。

雪がふると、

空気はつめたくて
音は遠くなって
景色はしろくって
山と空、輪郭がいつもよりはっきり
きれい。

松本の冬は寒い。
手も顔も、冷たいを通り越して、
痛い。

でも、澄んだ空気はぴりっと毛穴をひきしめる。
さむいさむいとちぢこまる、背すじ
ぴんとのばせ自分。


・・・

昨日は小学校からの、友たちに久々に会った。
やっぱり、地元の仲間はいい。

夜中、歩いて帰った道。
天気がよくて、空が明るい。
月の輪、がみえたよ。

寒いけど、冬らしい
故郷の冬がすき。 
松本がすき。

今年ももうすぐおしまい。
ここ日本で、家族と年を越せる今日があることに
感謝します。

よいお年を お迎えください^^

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2009年12月28日 (月)

2009年今日までとこれから

「きょうのむかし」=ある事件のあった日と同じ月日に、
その日を回顧していう語。

・・・

フィリピン現地に居た頃は、出会うもの・人が多すぎて、強すぎて
自分の中で吸収することが精一杯。

その日その時を伝えるのがいちばんだけど、
受けたものを、うまく噛み砕いて自分の言葉で語ること
とてもじゃないけれど、私にはできなかった。

だから改めて、とにかく書き留めてきた日記と絵を
見直し、ゆっくり消化しながら発信する作業をこのブログで試みてきました。
でも、たとえ一日ひと記事にするのも、私にとって大変な作業。
一年やそこらでは、やっぱり消化できないくらい大きいもの、らしい。
急いで、無理に、文字としてスマートに発信することを目指しているわけではないので、
ゆっくり、これからも消化活動は続けていこうと思います。

2009年は、認めたくないけどやっぱり

「就活」が大きかったなぁ。
一応、くいぶちは確保できました。
当初の目標が達成できなかったことは悔しいけど、もうしばらく東京でがんばるつもり。

母校中学での教育実習、おもしろかった。
やっぱりわたしは、子どもに関わることがすきらしい。でも、教師にはまだなれない。
社会科教師めざすなら、ナマの社会の風に吹かれてからの方がいいと思うから。
教科書なんかより、面白い話のできる先生になりたいな。



5年目の学生生活も、なんだかんだ、ちゃっかりと楽しんだ。
やっぱり卒論。身をいれて取り組めたのは、11月も終わりくらいで、すんごい勢いでガーッと書き上げてしまったけれど。

「路上や農村をフィールドに、生活を営むフィリピンの人たちのように。
日常生活のなかで「知」を使いながら
自分の場所で、自分を最大限に活かそう。」

私がフィリピンから一番学んだこと。これから人に伝えていきたいこと。
やっと、整理できた気がする。学業を修める意味が、わかった気がする。
でも、わたしは今まで外に居てばかり。
きちんと座って、本を読んだり分析したりの、机の上での勉強が圧倒的に足りないって気がついた。
だからね、またいつか、大学に戻るんだ。

日本でのフィリピンとの関係。
川崎の団体で、日本人の旦那さんをもつ(けどあまりうまくいっていない)フィリピン人女性と、その「ダブル」(昔はハーフ、といった)の子どもと関わり始めた。
最近やっと、一見きゃぴきゃぴバリバリ現代っ子たちの、「うちがわ」が見えてきた。ここにもわたしの取り組みたい課題がある。関係を続けていこう。

フィリピン絵本計画、いっぽ前進。
わたしが目指す絵。芸術的な絵を描きたいわけじゃない、人に何かを伝えるための絵。分かりやすくて、でも絵としてずっと眺めていたくなる、絵自体が物語る絵。
そんな絵を書く峰岸達先生がやっているイラストレーション塾をみつけて。もう直感で、通い始めた。おばあちゃんの母校が学び舎というのも、なんだか不思議な偶然。本気で絵を描く人たちに囲まれて、すごく刺激を受けている。
ゆっくり、じっくり、カタチにしていくんだ。就職しても細く長く続けるぞ。私は、
絵を描くために、働く。

・・・

いつも思い出し、照らし合わせるのは、
フィリピンに居たときの自分。

常に自分の興味のアンテナを立てる。
すべての行動に意思を持つ。


日本でも、ちゃんとできてる?はずかしくない生活してる?
つい、ぼーっとなんとなく過ごしてしまったり、
いそがしさに周りが見えなくなったり。
まだまだな、わたしだけど、
常に目標をもつこと、目標にむかっての道づくりをすること。

少しは、フィリピン流生活を実践できているかな。
「きょうのむかし」ではもうないけれど。
むかし の延長上にある、今日のわたし、だと言えるから。
まぁ、よし。


・・・
2009年がもうすぐ終わる、今日までをもう一度振り返って
あと2ヶ月、去年のわたしがフィリピンで過ごした日々を
きちんと消化していきたい。
自分の言葉と、絵に描いて残しておきたい。

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2009年12月25日 (金)

フィリピンから、メリークリスマス!!

Photo

★☆Marigayang Pasko☆★

“パスコ”はタガログ語で“クリスマス”
マリガヤン パスコ= Happy Christmas!!

おっきな☆がついているのが、クリスマスツリー。

枝は、乾燥させて反り返ったココナツの表皮。
幹はポテトチップスの筒状容器。
ココナツを縦半分に割って、磨いた「おわん」状の根っこが
木をしっかりと支えています。

オーナメントはきらきら光るビニールの飾りと、
ミニカップのゼリー(指で押して、つるんと食べるやつ)を逆さに、糸でつるした
ベル。
葉っぱをつけて・・・

おまけに、綿の雪まで!!
てっぺんの星は、木で枠をつくって、紙をはったもの。

身の回りにある材料をつかっての、手作りクリスマスツリー。
すてきでしょ?

フィリピンの山岳地方のちいさな村、
とある教会の、クリスマスを紹介します。

・・・

クリスマスが近づくにつれ、ツリーの下にプレゼントが増えてきました。
みんな、赤に緑、黄色と、派手で楽しそうな絵の包装紙にしっかりと包まれている。

うれしそうに宛名や、包みのままひっくり返しては、中身を想像する子どもたち。

でもね、まだお預けなのです。
あとでやる、ごちそうを食べた後の
クリスマス会プレゼント交換までね!

どの家からも、いいにおいがする。
24日は、朝からごちそうの準備。


夜のイブ礼拝のあと、教会の外に火が焚かれ、人々が語らう。
休暇をすごしに懐かしい面々が故郷に戻ってきた。

子どもたちも、今日ばかりは夜更かしOK^^

25日、クリスマス当日。

クリスマスを祝う礼拝を行ったあとは、お楽しみのクリスマス会。
民俗ダンスをみんなで踊ったあとは、プレゼントの大交換会をする。
各自、各家族がそれぞれ贈りあうプレゼントを一同に持ち寄り、神様の前に供えてあって・・・

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それはそれは、夢のような光景。。

司会者がいっせいに、プレゼントの宛名を読み上げる!!
私にも、あるかな。どきどきわくわく、みんながうれしい、楽しいひと時。

その後は、みんなで、ごちそうを食べる。おなじみの焼きビーフン「パンシット」に、肉のしょうゆ煮込み「アドボ」などなど。
大切に育てた鶏は、今日の日のごちそう。




ひととおり、「教会でのみんなでお祝い」が済むと、各自家に帰る。
けれど、今度は仲良しご近所さんどうし、各家庭にインバイトしあって
またご馳走をいただくのだ!

なんと、心もお腹もみたされっぱなしの。
一日をすごすのです。

・・・

マニラでは、12月に入った時点でもう、
道行く知らない人からも、
“メリークリスマス”

と挨拶されるくらい。
「もうクリスマスだね!!」の話題もつきない。

街中、国中が、うかれムード
フィリピンのクリスマスは しあわせいっぱいです

みなさんも、2009年よいクリスマスを^^

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FRUSATO Nayon

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「クリスマスはナヨン村ですごす」

私にとって、フィリピンの
“帰れる場所”

・・・

サークルで行った最後のキャンプ
「もっともっと、勉強してから帰ってくるね。」

2007年の9月、そう約束して日本へ帰った。

まだはじまったばかり、だと感じていた。
知らないことが多すぎる。
「フィリピンにもっと浸りたい」と、
2008年の3月から休学し、首都マニラを拠点に滞在しはじめた。



約束を守るために、勉強したい。
ひとまわり、おっきく成長したい。

でも学校に通うとか、すでにある「日本ーフィリピン」という国同士の関係をなぞるのは
ちがう気がした。

あえて選んだ「日本」から遠い場所。
自分の身ひとつで勝負するしかない、場所。

子ども施設で、ソーシャルワーカーに
「あなたはここで何がしたいの」といわれた。
子どもの、心の声は聴こえてくる。
でも、私にできること、がわからない。

農村で、英語の通じない人びとに
「ハイテクで金持ちの国のヤツが、なんでここに?」といわれた。
貧しい、不便な生活こそが、人の力を引き出すこと知ってる。
私はそれを学びたい。でも、言葉で伝えられない。

もう、日本人フィリピン人とかではなくて。
どんなときも、どんな場所でも
自分が何者であって、何をしたいのか

「相手に、自分自身を伝えていくこと」
考え、積み上げてきた譲れないものはある。でも
それをうまく相手に、伝えることができない。
想いはあるのに。悔しい。


私にとって、高いハードルだった。
生涯取り組みたい課題だと、気がついた。

いつもひとりでフィリピン人のコミュニティに飛び込み、
イチから関係をつくる。
「日本人」の私から、一個人の私を知ってもらおうと、全力全身で自分を示した。
やっぱり必要だから。タガログ語も必死に聴いて、読んで、口に出して、使って勉強した。

選んだ道は、正しかった。
つかれる。きつい。苦しい。

でも、辛くはなかった。
ナヨン村の家族との約束を守るため、
ナヨン村に帰るため、と

自分の中にいつも
帰れる場所があったから。

・・・

2008年12月24日の夜。
私はマニラからバスに乗り、ナヨン村へと向かった。
みんな里帰りでぎゅうぎゅう詰めのバス。となりは赤ちゃん抱っこした若いお母さん。
道路も混んでいて10時間以上もかかった。

いつもなら、夜明け前に着くはずが、もうすっかり朝。村の一日は始まっていた。

わたしは、すこしは成長できたのだろうか。
もういちど、この場所に帰ってもいいのだろうか。
帰る資格があるのだろうか。
うれしいけど、こわかった。でも、

待っていてくれた。
ママ、パパ、弟と妹たち。



1年3ヶ月、久しぶりなはずなのに。
びっくりするほど普通に、私の心は、そして向こう側も
この村の、この家の
朝の風景に馴染んでいく。

あまいコーヒー。もそっとするパン。
これだ。
ここでは、がんばらなくていい。
肩の力をぬいていい。

しあわせ。

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