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2009年12月25日 (金)

FRUSATO Nayon

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「クリスマスはナヨン村ですごす」

私にとって、フィリピンの
“帰れる場所”

・・・

サークルで行った最後のキャンプ
「もっともっと、勉強してから帰ってくるね。」

2007年の9月、そう約束して日本へ帰った。

まだはじまったばかり、だと感じていた。
知らないことが多すぎる。
「フィリピンにもっと浸りたい」と、
2008年の3月から休学し、首都マニラを拠点に滞在しはじめた。



約束を守るために、勉強したい。
ひとまわり、おっきく成長したい。

でも学校に通うとか、すでにある「日本ーフィリピン」という国同士の関係をなぞるのは
ちがう気がした。

あえて選んだ「日本」から遠い場所。
自分の身ひとつで勝負するしかない、場所。

子ども施設で、ソーシャルワーカーに
「あなたはここで何がしたいの」といわれた。
子どもの、心の声は聴こえてくる。
でも、私にできること、がわからない。

農村で、英語の通じない人びとに
「ハイテクで金持ちの国のヤツが、なんでここに?」といわれた。
貧しい、不便な生活こそが、人の力を引き出すこと知ってる。
私はそれを学びたい。でも、言葉で伝えられない。

もう、日本人フィリピン人とかではなくて。
どんなときも、どんな場所でも
自分が何者であって、何をしたいのか

「相手に、自分自身を伝えていくこと」
考え、積み上げてきた譲れないものはある。でも
それをうまく相手に、伝えることができない。
想いはあるのに。悔しい。


私にとって、高いハードルだった。
生涯取り組みたい課題だと、気がついた。

いつもひとりでフィリピン人のコミュニティに飛び込み、
イチから関係をつくる。
「日本人」の私から、一個人の私を知ってもらおうと、全力全身で自分を示した。
やっぱり必要だから。タガログ語も必死に聴いて、読んで、口に出して、使って勉強した。

選んだ道は、正しかった。
つかれる。きつい。苦しい。

でも、辛くはなかった。
ナヨン村の家族との約束を守るため、
ナヨン村に帰るため、と

自分の中にいつも
帰れる場所があったから。

・・・

2008年12月24日の夜。
私はマニラからバスに乗り、ナヨン村へと向かった。
みんな里帰りでぎゅうぎゅう詰めのバス。となりは赤ちゃん抱っこした若いお母さん。
道路も混んでいて10時間以上もかかった。

いつもなら、夜明け前に着くはずが、もうすっかり朝。村の一日は始まっていた。

わたしは、すこしは成長できたのだろうか。
もういちど、この場所に帰ってもいいのだろうか。
帰る資格があるのだろうか。
うれしいけど、こわかった。でも、

待っていてくれた。
ママ、パパ、弟と妹たち。



1年3ヶ月、久しぶりなはずなのに。
びっくりするほど普通に、私の心は、そして向こう側も
この村の、この家の
朝の風景に馴染んでいく。

あまいコーヒー。もそっとするパン。
これだ。
ここでは、がんばらなくていい。
肩の力をぬいていい。

しあわせ。

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