2009年4月22日 (水)

「タホー タホー」

タホという、やわらかい豆腐に黒砂糖とタピオカのシロップがかかったおやつ。タホ売りのおじさんは、看板・宣伝の役目をするその声を叫ぶ、というよりか鳴らしながら、午前10時ころわたしの住処の近所を通ります。10ペソ(約25円)であったかい、おきにいりのミリエンダ(おやつのこと)です。

今日はいちにち部屋にいたので、買うことができたのでした。

夜中もウボ(セキのこと)がひどくって、眠れなかったー

もう今日は休むことにした。このごろ毎日行っていたし、いいやって。

実はちょっと行きたくない、ってのもあったんだ。(プチ出勤拒否)

休んで、とにかく制作に没頭。タガログ語絵本を、みやすい紙芝居方式にしようと、スケッチブックに絵を真似して描いていたのです。

家から一歩もでなかったのは初でした。(タホ以外☆)

26にちめ

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2009年4月21日 (火)

かっとう

女の子センターでの私の仕事。「セッション」と呼ばれる、ミニクラスを行うこと。工作したり、折り紙や歌おしえたり、ゲームをしたり。別になんでもいいのです、夏休みであまりやることのない子どもたちの暇つぶし、というか日常にメリハリをつける役割りだということはわかっている。

でも、希望者のみ参加とか、「時間になったら好きにやってね」というあまりにスタッフの丸投げ状態・・・まぁ、それはそれは。年齢もばらばら、じっと座っている習慣のない子たちを相手に不自由な言葉で行うのにはてこずる。おりがみもできない子のフォローをしていると、できる子はイライラしてくる。気まぐれに、途中から参加してくる子もいれば、材料だけとってって他の場所でやる子も。

あの、日本の教室を基準、想定して行うのは不可能なので。わたしもいろいろ毎回工夫し頭をひねって挑戦していたのだけど・・・だんだん、この取り繕って、その場切り抜けの暇つぶしセッションを提供することに意味を見出せなくなってきたのでした。

子どもたちの、行動から気づいたことがある。やはり、クラス体系でやろうとすると「わたし×6~8人」になってしまう。それが、すごくいやみたいなの。個じゃなくて、集団として扱われるということが。7歳から20歳の集団生活から、ストレスがみなたまっている。大きい子には大きい子の、小さい子には小さい子の。まとめて扱われることには慣れているし、我慢しなくてはいけないことをちゃんと知っている。けど、それほど重要な場面でないと判断すると(わたしのセッションとか)この状態。無理もないんだよね~。

でもそれって、フィリピン限らず教育の場、現在の日本の学校体制において、教師が抱えうる葛藤でもあるんじゃないかな。

勉強する機会を得られなかったり、清潔な服も住処も、食べ物も保障されていなかったかもしれない境遇の子たち。このセンターで生活すれば得られるものは多い。

教育についても、モノがない人に対して「与えるべき」と考えるのが当たり前だった私にとって。彼女たちはここにくれば、幸せに暮らせるのだと思っていた。

そう、ではないということに気がつき始めている。しばし起こる脱走事件や、時にみせるささくれ立った女の子たちの感情からにじみ出ている気がする。

現在わたしは平日にほぼ毎日訪れている。このセンターとあとどのくらい関わろう。こうやって、自分が属する場との関係、改善に評価に。反省に、離れるタイミングとか距離のとり方も、すべて自分で決めて、判断しなくてはならない。これほどまで、自分の物差しが試される状況になるとは想像していなかった。叱咤するのも、褒めるのも自分。しようと思えば、相談や助言を誰かに求めることもできただろう。でもあたしはこの一年間、徹底的に自分とやっていく、挑戦すると決めたのだった。

わたしがやりたいのは、一対集団でわーっと喜ぶことをしたり、セッションを与えることではない。一期一会の訪問者、ではないから。なりたくないから。一日でほんの数分かもしれないけれど、どれだけ一人ひとりと一対イチの時間をみつけて、その子を知ることができるのか。やっぱりわたしと、その子の関係をつくっていきたいと思った。

ネックレスをもって行っちゃった、でも返してくれたカレンちゃん。英語のわかる16歳の彼女に、「わたしはお話をつくりたいんだ」と話をした。そしたら、このセンターのできごとそのままを話にしてくれたよ、その場で。“アナ逃走事件”(!!)うん、みんなを登場させなくっちゃ。

こういうちいさな会話のやりとりや、2人でいた時間をものすごく、大切にしようと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

セキがでていたらしい、マンゴーの食べすぎ?とか疑っていた自分。この時期はマンゴーの旬で、黄色く大きなよく熟れたマンゴーを山積みにのせた露店が街のあちこちに。毎日夕方買って帰ったものでした。真ん中にたてにある大きな種にそって、3部に切り分けスプーンですくって食べるのです。ん~懐かしい・・・

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2009年4月20日 (月)

こどもという存在

フィリピンの人々が年齢より大人びて見えるのは。単に“見た目”のせいだけではないのかもしれない。

子ども=弱者 だと思っていたら、大間違い。あらゆる方法で今日を生き抜いているたくましい子どもたちがマニラにはたくさんいる。「こどもである」自分を上手く使って。

フィリピンの“アースディ”だった今日。昨日バレーをしたケソンサークル(公園)には催し物ブースがたくさん。子供向け工作のブース?に、参加者の子どもたちに混じって、公園をフィールドにしているらしき、スラム街出身と思われる子どもグループがいた。工作に混じって、少し話かけてみる。仲良くなれたかなと思っていた矢先。

「ビリカ、ビリカ!!」ある子が現地語で言い出した。「!?」意味のわからない私に、

苦笑いする子。身振り手振りしてくる子。

そばにいたスタッフのフィリピン人に聞いた。「ビリ カ」=「買って!!(Buy, you)」意味がやっとわかって、すこし落ち込む。食べ物かってよ、って意味だった。そうだよね。こうやって、生活してるんだこの子たち。

悩む。ショッピングモール周辺やマーケット。必ずいる、お金をねだる子どもたち。「1ペソ」だけでも、っていってくる。そのたび、痛い。どうしよう、って迷う。かわいそう、助けてあげたい。でもあたしはただ振り払う、目をみれずに。

私は自分にできることが、自分の限られたお金を渡すことだとは思わない。ここフィリピンじゃたいした金額になるかもしれないけど。今を少し楽に、してあげられるかもしれない。

でも明日は?あさっては?十年後はどうしてる?

フィリピンで日本人に会えばきいてみるし、みんな悩むという。お金あげちゃう人、お金はラグビー(シンナー成分が入ってる、液体のりみたいなやつ)かったり、大人が裏で働かせてるかもしれないからダメ、という人。かわりになんか食べ物あげるという人もいた。状況にもよるし、子どもだって一人ひとり事情がちがう。正解はきっとない。

いい返事をしてあげなかった私のことは、もう忘れたらしい子どもたち。ねんどに夢中になり、機材を運び用リヤカーに乗ってはしゃいでいた。小さい子を大きい子が乗せて、キャーキャー言いながら。

子ども。笑って動いてケンカして怒って泣いて。何も考えず、ただひたすら遊ぶのが仕事な存在。本来の、当たり前のはずの子ども姿。彼らは、さっきまでの思惑に満ちていない笑顔でただの子ども100%だった。

「今日の飯」が先、でよっぽどすぐ役に立つよう、食べ物やお金をあげたほうがいいのかもしれない。でもわたし、もしそうしたら、その子たちのこと忘れちゃうかもしれないよ。その時の「かわいそう」っていう感情に従ったとたん、自分の行動に満足して完結してしまいそうだ。いやだ、そんなの。彼らに失礼だ。

長い人生の中で一瞬しかない子どもという時期。わたしは、子どもが子どもらしくいられる時間、やわらかくあたたかな思い出を、あげたいと思った。

すぐには何をしたらいいのかわからない。でも、「ちぇ」って営業スマイルを引っ込めて、離れていく子どもたちの背中に約束をする。わすれないよ、君のこと。

ちくりと痛い。じゃりっと残る。この感情ひとつひとつと、名前も知らないけど出会えた君のこと。大事にだいじに覚えておくんだ。

24にちめ

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2009年4月19日 (日)

わたしの道

ストリートエデュケーター(マニラ首都圏をいくつかの区域に分け、担当地域の路上で教育や保健サービスを行うグループ)が、各地域の子どもたちをケソンシティにある公園に連れてきて遊ばせる、プログラムがあると聞きつけ出かけていきました。

ケソンメモリアルサークルと呼ばれる、その大きな公園には遊具やランニング・サイクリングコース、バスケコートに芝生もあって、市民の憩いの場のような公園です。普段はスラム街の狭く、交通量も多いような地域で暮らしているのであろう、子どもたちを広い場所で体を動かし思いっきり遊ばせる、取り組みらしい。

着くと、彼らと思われる雰囲気の、子どもや若者たちがバスケやバレーをしていました。一応スタッフの人と連絡をとって、待ち合わせたのだけど見当たらない。。。

「混じっちゃえ~」

と、通路でバレーをしていたグループに乱入。みんなちょっとびっくりしている様子。でもね、予想どおり普通に混ぜてくれるのです。(このよそ者にも寛大なフィリピン、だいすき)みんな運動神経いいからうまい。でも、「ここを直せばもっと・・・」ってつい、思ってしまうのよね、元バレっ子は。。。教えてあげたくなる。

そう、あたしは今まで何をがんばってきたの?何ができるの?と聞かれれば。それは「バレーボール」しかないんだった。全然上手くなかったし、強いチームじゃなかった。根性と体力しか身についてないと思ってたけど。「楽しむ」バレーを教えることは、あたしにもできる!ことの一つだって、ボールを追っかけながら気がついたのです。

ボールがあれば、言葉通じなくても輪に入ることができた。一緒に笑えた。なんてすてきなひと時だったんだろう。とーにかくよく遊びました。「アテ、いくよ!」って呼んでもらえてうれしかったな。バクラの人おもしろかったな。(バクラとは、オカマの人のこと。ちなみに女⇒男は“トムボイ”フィリピンはオープンにしている人が多くて、またそれをからかいながらも、周りは受け入れている!)

でも若者(13~18歳くらい?)中心で遊んでて、小さい子&女の子は見てるだけだったから、彼らも楽しめることできたらいいのにな。

「えほんがつくりたい」

まだ漠然としていたけど、フィリピン滞在を決めた理由の一つ。私にとって、絵本とは。子どもの頃に読んだ本を目にしたとき、たとえストーリを忘れていても、その瞬間に「絵本を読んだとき」という、空間的記憶がよみがえってくる。それはその当時の記憶だったり、誰かに読んでもらった思い出だったり。はっきりはしないんだけど、思い出せば必ず、なんだか心を温めてくれる記憶なのです。絵本はきっと、子どもにとって幼い日の温かい記憶として残りうるのだと信じています。絵本を通じて、お世話になった、大切なフィリピンの人たちに感謝をあらわしたいなぁ、と思っていたのでした。だから、フィリピンの子どもたちにとって、何がうれしいのか。楽しいのか。悲しいのか。つらいのか。そんな単純な「感情」を知ろうと。一人でも多くの子どもたち、それもいろんな境遇の子どもたちと友だちになろうと、フィリピンまでやってきたのです。

同時に、フィリピンでは本は生活必需品ではないから、よほど裕福な家庭でなければ手に取る機会がない。まして誰かに「読んでもらう」ことは、その人が読んでもらった経験がないとなかなか実行に移せない、その楽しさがわからないことに気がつきました。センターに絵本の寄贈がたくさんあって、図書室みたいになっているけれど、英語がほとんど。絵を眺めるくらいで、すぐ飽きて投げ出してしまう、という光景をよく目にしていました。

あたしが読んであげよう、それも彼らの言葉で。

タガログ語で書かれている絵本はあるけれど、少ないし(施設の寄贈本はきっと外国とかからの寄付だからみんな英語)あたし自身、現地の人が考えたお話、民話みたいなものに興味があった。そして自分にとって、独学でタガログ語を習得すると決めたことの、何よりも強いインセンティブになりうると感じたのです。子ども用の簡単な絵本なら学びやすいし、楽しく勉強できるはず。

そしていつか、お話をつくりたい。ちいさなエピソードを集めて、たいせつにしまっておくんだ。日本の子どもたちにも、フィリピンの貧困を喚起する、とか現状を伝えるってんじゃなくて。共通するはずであろう、その幼い日の記憶に残ってくれるようなお話。えほんがつくりたいな。

公園にきていた、バレーをするお兄さんお姉さんたちをうらやましそうに眺めている子どもたち。今度は彼らに絵本を読んであげよう。何人いても見やすいように、大きな紙芝居のかたちに手作りしよう。練習しなくっちゃ、絵を描かなくちゃ。やりたいことが見つかって、わくわくしてきたぞ。

帰り道、店が並ぶ通りに住んでいるらしき、顔見知りの子どもたちが木登りして遊んでいた。ミシェル、シェイラ、ブゴイ、ジョセフアレイの四人。ちょっとおしゃべりして別れたら、そのうちの男の子2人が家まで送ってくれたのです。まだ10歳そこそこの、フィリピン男子のなんたるジェントルマンなことでしょう。

今度、お礼に本を読んであげよう。

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2009年4月18日 (土)

おえかき

「子どもの絵を描こう」

とずっと思っていた。体の動きとか、表情とかことあるごとに「この瞬間を、おさめておきたい!」と写真とりたい、とか衝動に駆られるときってあるではないですか。わたしはこの衝動を絵にしよう、と思っていたのです。

こっそり、ある子が器用に塀?屋根みたいな高いとこに登っていて、下でみていたらふと、下界ではああいう体制にはならないよなぁと、その緊張した肢体に「おさめたい!」という衝動がやってきた。

こっそり、下から盗みがき・・・

生の人間てやっぱいいな~と思い描いていたら、他の子が覗き込んできて。やっぱり・・・「描いて描いて!!」が始まった 「順番!」とモデル合戦。うーん、なかなかよいかも、この試み。「描いて」といったからには、私という描き手に従わざる負えない状況。動くと怒る私に、しぶしぶ従う。でもこのお互いが、その相手のみに集中できる状況は、いつも「1対大勢」状況な私にとっても、女の子にとっても「自分だけをみてくれる」という状況を生み出す。貴重な時間だ。

にしても、みんなキメ顔ちょー得意。(これはフィリピンの子どもたち特有です、みんな自分の「一番」の顔を知っている、というか。山村の小さい男の子でも、研究済み。)うらやましい限りですわ。笑 自然な、ポーズができればよかったんですけど・・・もうポートレイトというか、肖像画もーどでして・・・ちなみに人気のポーズは「人魚」(!?)なんでも、“ジェサベル”と呼ばれる、人魚が主人公の連続ドラマが当時流行っていたらしく。女の子はみんな夢中、らしい。うつぶせになって、上半身を起こし、ひざ下をまげるみたいな。キワドク上半身はだか、下半身ウロコ?みたいに描いてみたら、よろこんでた。そういや確かにあたしも一時期人魚にあこがれた時期あったかも。リトルマーメイドのアリエルに。笑

写真とちがって時間がかかる=「モデルにも苦労が伴う」こともわかってくれたし。できあがったのみて、「にてな~い」とか「なにコイツ美人過ぎる」とか。回りの批評を気にしつつ、恥ずかしげにでも満足げ。そして、終わり。写真のときはその後の収拾がつかなくなったけど、絵だとそのうち飽きて、すっきり終了。こりゃいい。(私は疲労困憊)

一人の人魚が(笑)「それはあなたの特技ね。」っていってくれた。こんなの、ただの落書、って思っていたけど。それで人を喜ばせることができたのなら、ちょーーーこっとでも、得意、ならば。それをもっともっと練習して、極めて、本当に自分の一部に、力にすればいいのか、って思えた。よし、「絵がとくい」っていえるようになるぞ。

ちょこちょこのせてる絵(見難いけど)はこの日以来、描いてきたものです。この日以来、フィリピンで「絵をかこう」ときめたのでした。いつもくるくるっと丸まる、スケッチブックをおしりのぽっけに忍ばせて。

19にちめ

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2009年4月17日 (金)

mono

ジェリーンがカチューシャをしてごらん、って貸してくれた。

アイザが腕輪をくれた。

ルイーザが、may i borrow?ってもってった・・・

ここ、女の子が共同で暮らすセンターでは、みんな当たり前のように貸し借り。ギブ&テイクが成り立っている。お出かけ前は、かき集めておめかし。(留守番っこの持ち物も総動員して)みんな、あたしのこともさも当たり前に、巻き込んでくれる・・・うれしいんだけど。あたし、人一倍“もの”に対する愛着心みたいなのが強いのでありまして。まぁフィリピンで身に着けたくなるのって、誰かが「思い出」として私にくれた、“リメンバランス”が多いから・・・これは手放せない。。。ケチなのか!?と自分いやになったりもするけれど。だってだいじ、なんだもん!!

センターに限らず、フィリピン人はお別れのときによく「リメンバランス」といって、アクセサリーだったり、手紙だったりをくれます。“もの”を自分に置き換えて「わたしだと思って」覚えていて欲しいという。私自身、「人にものをあげる」ってもとからそんなにすきじゃないけど、いいなと思った。ものにこもった気持ちがうれしい。あたしももので応えたい、と思うけど。フィリピンでは簡単にものに頼りたくない、って気持ちにもなる。はがゆいところ。

ちいさい7歳の子が「あした持ってきてね♪」って、大切に持ってた本型レインボーカラーのキーホルダーを、私のバックにつけてくれた。ちいさなこの約束を、守らなければと思わせる。

ここの子どもたちは、さみしい。まぁ家庭に問題があることが一番の理由だろうけど、センターという場所はスタッフやボランティアや客やら、人はたくさん集まってくるけど入れ替わる。誰もが一度入ってきたからには出て行くことを、みんな知っている。知っているから少しでも足を留めようと、初めて訪れてきた人には、また来てもらおうとベタベタ。「可愛く甘える」技を知っている。これは女の子独特の「さみしさ」表現方法だと思う。

あたしもだまされた、というかある程度何度も行っていると、「こいつは引き止められた」と安心するらしく、結構ほっておかれる(もうかまってくれない笑)

でもね、この状態からがやっと人間として同じ位置に立てた、スタートラインだと思うんだ。

カレンという、16歳の子と話をした。

彼女はアートがとっても好きでセンスもあり、勉強もまじめにやる。施設の製品(売るための)作りをよくやっている。得意は絵の具筆でかく、“竹”の絵。ボーイフレンドの話とかと思えば、「I want to die」毎晩泣いてる、私のlifeは大変すぎるの。悲劇的な冗談でこんな言葉を口にした。半分本気にも聞こえた。

彼女の家族には、前の学期末授与式にきていたお姉さん?にあったことがある。16歳の彼女はどんな大きなものを、抱えているのだろうか。

自己紹介ゲーム、みたいなので子どもたちの夢を初めて聞いた。

大学を卒業したい、シスターになりたい、ソーシャルワーカーになりたい、看護婦になりたい。センター長になりたい、という子もいてみんなで笑った。みんな自分の身近な人があこがれの対象なのです。

どうか。どうか彼女たちの夢、叶いますように。

世界中の子どもたちの夢が叶うような世の中には、どうすればいいんだろう。選択肢がありすぎて逆にわからなくなっている自分ばかみたいと思うのでありました。

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すんでいた家の中で唯一すきな部分、「扉」。うすい緑と青のペンキで塗られ、マリア様が祈っているかたちの壁掛けがかかっている。

↓は扉&ノートマニアの私にはたまらない、扉型ノート。中の紙も厚くて白紙なのがおきにいりでした。ちなみにフランスうまれだから、トリコロールカラー。(まだ青は持っていない)赤が旅日記です。

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「どこでもドア」にみえてこない?

18にちめ

お詫び

なんだかいつも、「今日の主題はなんだ!」って自分自身書いていて言いたくなるのですが。この「いろんなことを感じて考えてるけどまとまらない」感を今のところは見逃していただけますでしょうか。

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2009年4月16日 (木)

住処のはなし

私がマニラで暮らしていた住処こと寮(ボーディングハウス)の話はちょこちょこでてきていると思いますが。ここで住人たちの紹介でもしましょうか。そもそも、私はある家族が暮らしている大きなおうちの一部屋を電気・水道代込みで借りています。最初は食事も食費をだして、家族と一緒に食べていました。これで4500ペソ+食費1600ペソ位。なんでも、口コミや日本のNGOにインターンやボランティアでくる人たちの紹介?で代々日本人利用が続いているらしい。私もサークルの先輩から紹介してもらいました。家族は日本人慣れしてるから、その辺は楽。鍵ももらえて、セキュリティも安心だったかな。なるほど、フィリピン初心者でもさほど苦なく暮らせるレベルの生活水準。だんだん気がついてくけど、一般のフィリピン人大学生や仕事をしている人が利用している寮に比べたら、高い。かなりの高生活レベル。後に私はそのあたりと相当葛藤することになります。

家主は気がよく小心者、セクハラで有名なおじ(い)さん。リタイヤして特にすることもなく、買い物で無駄遣いするか、テレビみて昼寝してお手伝いさんには小言をいいます。そしてたまにお手伝いさんを通して私たち(ボーダー)にも注文をつけてきます。ちなみにセクハラ癖は好みがあるらしく(?!)愛想良くしつつ用心していた私は対象外になり害はなし◎笑

奥さんはアメリカに出稼ぎ中。奥さんの稼ぎがこんな用途に・・・と気の毒になる家族の生活。昔はボーダーの鍵も管理してもっと寮ビジネスに精を出していたらしい。かなり自由に暮らさせてもらったから・・・よかったかも、ご不在で。笑 ちなみに他者への垣根が低いフィリピン人、寮として部屋を他人に貸し出している家はたくさんあります。

息子、二十歳くらい多分。完全なオタク。最初は日本のアニメとか妖怪の話よく知ってるな~って盛り上がったけど。負けた、ジャパニーズオタクはジブリ作品全集やカードキャプターさくらDVDを買いこんでた。。。

娘、大学一年。父を小さくした感じ。彼女のピアノとギターには世話になりました。

馬鹿犬が3匹-1+1 本当に、鳴くしか脳のないバカ犬。

恐怖ねこが1匹とその子2+1  なぜ恐怖かというと、母ねこのそやつは子猫を食っていた・・・それをみてしまった・・・(後にほかの場所でも遭遇、文字に起こすのも恐ろしい。)

犬もねこも私の天敵でした。かなり優しくしてやらなかった。し、最後まで優しくしてもらえなかった。

そして。忘れられないのがお手伝いのマナン(年上ぎみなお姉さん、の意)。あたしが滞在しはじめてちょうど2週間めくらいにやってきた。一般的にフィリピンでは、母親も外に働きに出る家庭が多く、金銭的に余裕がある家ではお手伝いさんを雇う。(田舎では学生も、学費を稼ぐため住み込み・働きながら就学することも)

たいてい裕福ではない家庭の出身。給料だけもらってさっさと出て行ってしまう人もいる。この家も前のお手伝いさんはそうだったらしい。

イロイロ島出身のマナンは高校卒業してないから英語は苦手なの、昨日は緊張して寝れなかったともいう。大変だろうな、なれない他人の家。くつろぐわけにもいかないし。

実際、彼女の話はつきません。よく話をして、というかあたしが彼女の愚痴をきいて。たまにイライラして怒ったし。けんかもしたなぁ。いろいろありました、けど一番気にかけてくれて、世話焼いてくれて料理もたくさん習った。彼女とのエピソードはまたおいおい。

他にも階下の住人で、あたしの生活音に過剰に反応していつもビクビク生活する羽目させられた女性や(かなり怒られた)、となりで相談相手になってくれた日本人の父を持つ女性。部屋をシェアすることになる日本人の大学生も、この後やってきます。

などなど、にぎやかでしょ。こんな感じの住処でした。

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2009年4月15日 (水)

Long and Winding Road

見捨てられた!!!

さみしいことなんだね。迷って迷って目的地にいる人に、連絡して助けを求めたけれど。「あきらめて元来た道を戻りなさい」だって。状況的には仕方なかったんだけど、さ。

人って存在を否定されることほど悲しく感じる、傷つくことはないんだって。今日私が言われた来なくていい、も「あなたは必要ない」に聞こえて。悲しかったなぁ~

・・・だから、もう意地だ!と自力で探し出してやったんだけどね。笑

とある教会を住所と地図を頼りに探すが見つからない。近くまで来ているはずなのに、人に聞いても「知らない」はまだいいほうで。てんでとんでもない方角を教えてくれる人も・・・

センターの女の子たちがいるはずの“ヒーリング・マス”という心身の癒しを目的とした礼拝を行う教会へ、一人向かっていたのです。

見つからない!!もう、最高に迷って困っている姿を見かねたのか。最後に私が訪ねたおじいさん。あまり自信はなさそうに、でも「もしかしたら」と考えながら、私に自分のバイクの後ろに乗るようにとしぐさで促したのでした。

おじいさんの記憶的中☆見つかったときは、二人で「やった~ヽ(´▽`)/」

心から、お礼を言ってわかれました。優しかったな、おじいさん。

ヒーリングマスは、身体が健やかでない人が集っていたのだろう、前に人が一列にならんで、聖職者に倒れながら受け止めてもらう⇒横たわる、というのをしてもらいました。(キャッチする人大変そうだったー)私の心はすでに癒されていたのだけどね。

終わったあとはみんなのお待ちかね!お昼ごはんを食べにガールズに圧倒的人気の中国系ファストフード「Chowking超群(チャオキン)」へ。フィリピンではファストフードがファミレスのような国民的支持を得ている。あまり安くないけどCMしててみんな知ってる、お出かけの楽しみってとこかな。マネージャーさんらしき人?が施設から来たみたいなことをきいて、同調してくれたらしくサービスしてくれた。最大のお客様=子ども:未来への投資というファストフードの戦略が頭をよぎる・・・こうやってジャンクな味を子どもに植え付けるのか、と。思いながらも、初チャオキンだった私もよろこんで食べてましたが。笑 ハロハロって、カキ氷に小豆とコーンとゼリーとコンデンスミルクのかかった具をまぜまぜして(ハロハロする)たべるフィリピンで人気のデザートも初☆おいしかった^^

アナがセンターに戻っていた。私の顔をみると、ちょっとバツの悪そうに。どこへ行ってたの?ときいてみたら。家族に会いたかった、とか。会えたのかな。。。

帰ってきたばかりのアナは、やっぱり「外のにおい」がした。

もっと話がしたい。彼女たちが何を想い、考えここにいるのか。ボランティアでほんのひと時しかいない私。できることなんてあるのか、まだわからない。住み込みに比べ、中途半端な自分。みんなすぐ忘れてしまうんだろうな。でも一緒にいる時間だけでも、笑顔にさせられたら。それでいいのかな。だって、好かれたくってここにいるわけじゃない、でしょ?

道はながい。でも迷い、考えながら時間をかけ歩くと決めた一年だから。

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2009年4月14日 (火)

自分の感受性くらい

『自分の感受性くらい』  茨木のりこ

ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにはするな 

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな 

しなやかさを失ったのは どちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな 

何もかもへたくそだったのは わたくし

初心が消えかかるのを 暮らしのせいにはするな 

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな 

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

この詩はとても有名だから、目にした機会はいくどもあった気がする。

でも「これは、今のわたしの詩」なのだと、この滞在中何度読み返したことだろう。

「自分の感受性くらい 自分で守れ」

本当にその通り、だ。

まだ2週間だけど、ジープやトライシクルという交通手段に、街のゴミや汚さにも慣れてきたのだと思う。「なにこれーっつ、いやだ~」という、偏見や見た目からではなく。「生活」しているからこそ感じられるようになった感覚はうれしい。しかしこわい面もある。

はじめてマニラに足を踏み入れたとき。2週間を北部の山村で過ごすために、行きと帰りに通りすぎただけ。でもあの車がびゅんびゅんの道路で、たばこや新聞を売り歩く人たち。真っ黒けの子ども。ジープも人も、通り過ぎる一瞬だったけれども、焼きついた絵は私の目から離れなかった。何もかもがショックだった。

今はもう、そういう人を見かけても。「これが仕事」「これがマニラで生きるための仕事」と妙に納得できるようになってしまっている。MRTという高架鉄道駅の階段で、空のカップを手に差出し、倒れるように寝そべる少年がいた。通り過ぎる自分。えっ、と思ったけれども。きっとこれも彼の「仕事」

どこへいったの、あたしの感受性。

安心できる家。外とは全くちがう、階層集落。外と中の区別。いつのまに、できてしまったの?

目にうつる光景。それをどう、自分の中で処理するのか。うん、そうだ、とすっと飲み込むのではなくて。いがいがっと、喉に引っかかるように。じゃりっと砂をかむように。何もできなくても、せめて消化はしちゃいけない。

友から手紙が届いた。日本の様子や彼女の近況。残された、待っていてくれる人の気持ちにはじめて気がつけた気がした。どこにいたって、わざわざ海外へでなくたって。もちろん自分の場所でも、意志さえあれば。自分を成長させることはできる。

待っていてくれる人たちの想い。ちゃんと背負って 自分に責任をもって。一瞬 一見 を目に焼き付けて。いちにちを噛み締めて。

生きろ、ばかものよ。

あせらない。でも一歩いっぽ 歩いていくよ。手紙をかこう。できるだけ、たくさんの人に。この滞在中、何人にかけるかな。

18日め

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2009年4月13日 (月)

おとこのこ

男の子の友だちが欲しい!ということで、初めて訪れてみた男の子センター。電話で場所聞いたときに“プネラリア・パズ”(葬儀場の意)の近く、って教えてもらったから。意味もなくジープドライバーに、悲しそうな顔して降り場を告げてみる

葬儀用献花を売る花屋多く立ち並ぶ、そのセンターのある場所は交通量の多い道路沿い。入ってみると、バスケットコートと講堂?スペースがある。さすが、男の子は動きたいからね~。ダンスの練習をしていた子どもたち。年上らしき兄ちゃんが、年下っこたちに教えてる。2パターンあるらしく、帽子を被っていると見立てた「気取って直す」しぐさがかわいい。明日からサマーキャンプなんだって!

タハナンって、もう一つ行っている女の子の施設と比べると。古い建物で、食事も質素だった。(でもとにかくごはんの量は多い!!)食事当番はないらしい、ジェンダー差か?働いている人たちも、あまり豊かではなさそう。このときは30人くらいの8歳~19歳の男子が暮らしていた。ウエルカムな雰囲気ではあったけど・・・

「レター」を提出しなさいとのこと。何が目的で、何をしたいのかを書いて。

女の子センターではセンター長さんとの面接?のみだったので少しびっくり。でも、どこへ行っても自分を表すこと。相手に言葉で伝えることは必要なんだな。なぜフィリピンで一年間暮らすのか。なぜストリートチルドレン、なのか。相手に、自分にもちゃんと説明できるようにならなくては。就活みたい・・・「働く場を探す」まさにそういうことなのですね。

まだまだ苦手だ、あたし。よし、がんばって書くぞ~

でもなぁ、まだタハナン(女の子センター)中途半端だし。どうしようとも思ったけど。毎日毎日だらだらと通っていても仕方がないと思う。とりあえず、4月の今月中はタハナン中心だけど、週一くらいで通ってみようかな。

男の子、ぜんぜんちがう。女の子みたいにべたべたしてこない!笑 シャイでかわいい!!

ここでは何ができるかな。

<オマケ:今日のふたことタガログ>ダンスの兄ちゃんがおしえてくれました☆

アノン ルガール ィト?  ここはどこですか~?(ここなんて場所?)

アノン ナンヤーリ サヨ?  どうしたの? (何があなたにあったの?)

おわかりですね、“アノン” は「なに」=What です^^

17日め

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