2009年6月23日 (火)

明日のための今日、7月からのための6月 その②

やっと、やっと。すこし「おとこのこ」がわかってきた。

よく起こる、ケンカ。

エドガルドが、エーマンのお腹を後ろ蹴り。エーマンは気が優しくってすぐ泣くから・・・ナナイの集中「怒怒怒怒!!!!」をあびたエドガルド。さすがに、かわいそう。やっぱり「たべたくない」って、食事にこない。ん~気持ちわかる。。。

ここにいると、いじめる方の心に「さみしさ」やなにか原因があるのが、感じられる。

いつも一緒のみんなが、一人になりたいときにこもる場所はたいてい通学ジープの中。

数人の子たちが呼びにくる。動かないエドガルド。「たべようよ。」ってゴッドサン。(スタッフの弟であって、施設の子ではない、この子の話はまたゆっくりしたい。)あたしの出る幕ないかな?って思ったけど。彼が“シノ?”(誰だ!?)って心ひらいてくれた。わざとの、いじわるな言葉ってやつでね。

そこへ頼りになる!兄貴のダレンがきてくれたから。もうあとは言葉じゃなくって、ふたりで彼を笑わせて。(ひざコチョ作戦)バツが悪いだけのエドガルドをひっぱって、やっと食堂へおくることができた。

うしろでこっそり、“やったねスマイル”をかわしたダレンと私。

いつもはシャイで目をあわせてもくれない、エドガルド(12歳)が私を受け入れてくれていたことに気がつけた。そしてダレン(14歳)との友情が深まった、できごと。

・・・

幼い子たち、10歳くらいまでって、人懐こいし誰にでもすぐ甘えられる。まわりもよしとするだろう。でも、一番辛いのはティーンエイジャーの彼ら、だろうな。もうそんな年じゃない。でもまだ、大人にはなりきれない。

だからその心の葛藤は、はがゆさは。「思春期」や「反抗期」としてあらわれるのだろう。

大人と子どもの中間地点

とでもいうのだろうか。

まぶしい。

・・・

聖職者見習い、マーヴィン。今日はオフィスにカンヅメで、なにやら課題をあたえられている様子。神学校に入る心構え、みたいな。

英語で書く文章。くしゃくしゃと、まるめた紙が散らばる。読んでみると、つらつらと出来事並べてばっかり・・・昔のあたしみたい(笑)一緒に、文章を考えた。ハイスクールでは特に好きな教科はなかった。でもブラザー(なんとかさん)と出会って。彼の影響で、神父になりたいと思ったこと。友だちや家族を助けることができる、神様の近くにいられる。・・・ってあたりの表現はさすがに、私にはできなかったが。2人でウンウンうなりながら、英文を・・・

自分でも言っていたし。分かっているのだろう。意志よりも周りの人に言われて、多分さそわれて、という部分が大きいのだろうな。

彼なら、きっとこれから立派な大人になる。

どうかその途中の道を、乗り越えていけますように。今度会うときが、たのしみだな。

・・・

あるはずないと、思っていたマヨがあった!

最後に(というか実はいつも準備してタイミングをうかがってはいた)タガログ語絵本の紙芝居を、始まる前に読ませてもらった。お話を読む前に、言っておこうと何度も頭の中で繰り返し、練習していた言葉。

言ってみた。つたなく、へったくそだけど。「彼らの」言葉で。なんていったか覚えてないし、伝わったかも不明だけど。

読むとき、みんなが助けてくれたから。応援の声(呼びかけを繰り返す、みたいなパート)がすごく、あったかかったから。

マヨっ子たちからも。「上手だったよ」って言ってもらえた。

かっこ悪かったけど、今の自分すべてを出し切った。今日まで必死に練習した絵本の朗読。まだまだ練習が必要だけどね。

5月31日の明日まであるらしい、フローレスデマヨ。でもあたしは、今日で最後だ。マヨっ子たちとも、センターのボーイズたちとも普通にお別れ。

・・・

・・

・・・

別れは淋しい。やっと、仲良くなれてきたのに。でも、このままでは足りないということ。自分はもっと彼らの心の声が一言でも聴き取れるようになりたいから。いったん離れようと思う。

日々思う。今日は、明日のためだから。どんなに辛くても、きっと明日、心から笑うためには必要なんだ、ってね。6月はまだ「農村ですごす」以外に何も分からない。どんな人と会えるのか、どんな場所で暮らすのか。でもこれは、7月からまたマニラで子どもたちと過ごすために今、必要だってことだけ。わかる。

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明日のための今日、7月からのための6月

ひさびさなので、5月の結末をまずはすこし。

・・・

マヨ(5月)は、とくべつな月。

いっぱい友だちができた。私は彼・彼女らを「マヨっ子」と呼ぶ。(センターの子たちと区別をして)

マヨっ子たちとも、いろーんな、ちいさなちいさな。できごとがあった。

一ヶ月間、毎晩続いたミサ。今日は、その最終日。

すんごい、おしゃれしてやってきた子どもたち。ほんとに、ほんとに、こんな子どもが?ってびっくりするほどみんな「おしゃれ」をしてきます。髪を丁寧にとかして、いつもよりきれいな服をきて。男の子はジェルでぱりぱり頭。(わたしは・・・泣)

おっどろ~くほどの速さでいつもの儀式はおわり。でもね、みんなで合唱する聖歌“アン プーソ コイ ナグププリ”は一番のできだったよ。

何かと思ったら、その後大盛り上がりのプログラムが始まった!!!いけいけ子ギャルちゃんたち(7、8歳)のせくし~な「スパゲッティダンス」(?)にお姉さま方(11,12歳)はクールなR&Bダンスを披露。も~盛り上がって、次わたしワタシぼく・・・・えらいえらい。

まわりのノリもよさすぎる!老い(ワタシ!?)も若きも一同に楽しみ、笑い、うたい、騒ぎまくって最高にたのしいひと時でした。

かなわないわフィリピン人。すごすぎる。

でもね、音楽のなりやまぬチャペルで(そう、ここでやっております)わいわいしながら、ふと思う。わたしは一応、今日で関係を一度区切る。センターには戻ってくるつもりだが、このマヨっ子たちとはまた、会えるのだろうか、と。

女の子が、もらった鉛筆をもって、“パペル・・・”(paperのこと)と言ってきた。今まで話したことはない子。紙がほしいの?ほらあそこでもらえるよ、って。ステージで皆を楽しませてくれた者が、もらえる景品をもっていた女の子に、スタッフのいる机を指差した。

ちがう、って。

・・・

けっきょく、帰り際で、もう夜9時も回り子どもたちを家へ帰さなくちゃならない、実は私もこんな時間の夜道を帰ったこともない!とあせり出し。最後までよく話をきいてあげることが、できなかった。

私は、子どもたちと友だちになりたくって、マニラにいる。

楽しかった。一緒に、みんなとさわいだ。幸せだった。

でも、どれだけの声に耳を傾けているのだろうか。女の子はあの時、なんと言いたかったのだろうか。

どれだけ、届かぬ声を見過ごしてしまっているのだろうか。聴かなければ、聞こえない声。

いっぱい騒いでおみやげをもらって。今日はゆっくりお別れもせず、さよなら。それでいい。私のことは、忘れてくれていい。でも私は、忘れないよ。どうかこのまま、笑顔で。いつかまた、会えますように。祈りながら見送った。

・・・

マヨは特別な月。

いつか、ふたたび。マヨの季節、あの場所へ戻りたい。

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2009年5月28日 (木)

いたみと声

すごく辛い。でもうれしい。きゅんといたい、日だったな。

ついに、うまくコミュニケーションがとれていなくて、ずっとモヤモヤを抱えていた。ソーシャルワーカー「アテ・ジェーン」に聞いてみた。男の子たちの背景、彼女の仕事について。そうしたら、彼女は

なんでそんなこと聞くの??目的は??

とそればかり。

目的・・・ただ、知りたいだけ。もっと男の子たちを理解したい・・・から。

としか私、答えられなかった。そんなふうに返答、されたの初めて。たぶん私がこのセンターをはじめ、マニラで行っている活動は、フィリピン人誰もが不思議におもっているはずである。でもとくに「わたし個人」の目的よりかは、「日本人」に対する興味のほうが大きいらしく。ふ~ん、って一通り珍しさに飽きれば、とくには気にされなくなる。

でも、彼女はちがった。だんだん、私がこのセンターに居つく(?)ごとに、なんだか距離をおかれている気がしていた。「そういう性格なのか?」とか「日本人がきらいなのかな?」とか思ったりしていたけれど・・・

男の子たちにすごみを利かせる一方、同じ目線で床に座って、遊んでいる笑顔をたまにみた。この人はきっと、私が今まで出会ったどのソーシャルワーカーよりも子どものことを考えているのだと感じた。尊敬の念をおぼえていた。

でも・・・こわいの。涙 はじめて、こんなフィリピン人、いやこんな人。だね。

「なら直接本人たちにきけばいい。」私が答えることじゃない、という風に彼女はいった。

わかってる。それが私の一番したいこと。直接、本人たちの声を、心からの声を聴くこと。外国では写真とか、情報とかで一言で「ストリートチルドレン」とまとめられてしまっている、こどもたちがもっている、ひとりひとりの事情や物語、笑顔や悲しさの理由。

マニラ=貧困、危険ばかりじゃない、って住んでみてわかった。きっとそう名付けられている子どもたちにも、そればかりじゃない顔、人生があるって信じているから。でも現実もしる必要があるから。

その「声」に耳を傾けるために、私はここにいる。日本人として彼らと接するのではなくて。友達として、大切な人として。一年間、援助とか助ける、とかじゃない。お金やものじゃなくて時間をあげる、一緒にすごすって決めたんだ。それが‘今’の私にできることだって、今までで2回フィリピンにきて、家族に出会って、友達ができて、サークルで学んで、

わかったことなんだ。わかってはいるけど、まだうまく「彼らのことば」でコミュニケーションがとれない。というのは言い訳で、ともすれば彼らの傷にふれることになる、そのリスクをおかしてまで一歩踏み出せる、関係ができているか。その自信がなかったんだ。インタビューみたいに、「聞き出す」のはいやだ。

英語、はなせる子もいる。でも時に私の知らない言葉で、私なんていないみたいにつぶやく、その言葉がききたいの。

すごい、アテジェーン。反省です。彼女とはまだ「話せない。」認めてもらえるように、もっと行動で示していこう。

神学校に進学予定のマービン。朝はいたのにファザーにつきそってどこかへ出かけていて、ミリエンダタイム(おやつの時間)にはかえってきていた。コーヒーの話とか、彼とはくだらないことを話せる仲。なんだか嬉しい。

でも時おり、自分の未来への戸惑いがみえて、せつない。

彼はもう忙しい。いつも先輩?聖職者に付き添って、出かけていく。そうやって彼の未来は保障されているけど。母親のため、兄弟のためって、自分が一番よくわかっているのだろうけど。

いつ帰ってくるの?気軽く尋ねたわたしに

「わからない。」その返事が、さみしげだった。

フローレスデマヨ祈祷の前もしゃべっていて。おっと始まるから、ってさすがけじめがある。笑 まじめに祈り、またちびっこたちをたしなめていた。

マヨ中急に「ドラえもんの歌詞おしえて」って。こんなときできない、「あとでね!!」小声で私。

後ではっと、気がついた。彼の心の声、だった。

ドラえもんが好きらしい彼。よく歌ってってせがまれた。あのあと、またファザーにの後についてどこかへ出かけていった。厳粛な儀式の途中に、子どもであっても聖職者をめざす者が言うべきでないのは本人が一番よくわかっているはず。でも、出かける前にまた今度はいつ、私と会うことができるかわからないから。

気がついて、あげられなかったな私。

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2009年5月27日 (水)

笑顔のしゅるい

笑顔がうれしい。

外の子どもたちが、フローレスデマヨ・ミサがはじまる18時、開場の17時半にはもういつもセンターの入り口に集まっている。私がつくと、「きたね!」の笑顔。

あの、かわいいけど「カワイインダゾ」っていう営業スマイルじゃなくて。

コイツしってる、ともだちだーーっていう笑顔ね。

最近は「センターのボランティア」として、また正規の訪問曜日じゃない日にも、フローレスデマヨの「いち参加者」として、近所の子どもたちに混じる両方の関わりを試みている。

もう慣れてきた。「めずらしさ」から私に寄ってきてくれることはない。でも、フツウに、ちょっとはずかしそうに。バイ!ってしてくれる方がすっごくうれしい。昨日はすっごく甘えてきて、いい感じに「買ってよ~」ってねだってきた子。今日はわざと

「ぷんっ

てわたしにしてみせて。帰っていった。別れ際には皆を門まで見送る(というか、まっすぐセンターの外へでるための誘導策)昨日はキスをしてくれた子、今日はいやーって、してくれなかった。

そんな、一度じゃない出会い、の関係がある。うれしい。

あたらしい友だちもできた。

センター卒業生の彼いや、彼女?そう。彼は「バクラ」。日本語でいえば「オカマ」、男の子なんだけど、心は女の子なのです。フィリピンは多い、というか「それをオープンにしている人」が多いんだ。今までも何人かは会ったことがあったし、彼らの存在は知っていた。見た目まで、しっかり女の子風にしている人。男の子の外見だけど、性格やしぐさが女の子っぽい人。その表現の仕方もいろいろ。もちろん女の子→男の子というパターンもあります。

彼は親切で、お祈りの仕方を教えてくれた。たまにセンターに遊びにくるんだって。また会えるといいな。仲良くなりたいな。

・・・・・・・

にしても、夕方のこの時間だけ通うのも、毎日はほんとにきつい。体力の限界。。。

でも、やりたいことがあるから。

マヨ・ミサがはじまる前に、お話を読もうと思ってね。いつも、屋外のちいさなホールいっぱいの70人くらいの子どもたちを前に・・・ミサが始まるにあたって、いつもブラザーさんたちが静かにさせるの苦労している。さすがに26日目となると、だらけてくるよね~たるんできている雰囲気。

少しでも、落ち着くかなと思って。そして、今の私にできる、友だちたちへの恩返しのつもり。

でも神聖なキリスト教の儀式の前にいいだろうか、よくわかっていない部外者の私がしゃしゃりでる勇気もなく。。。きりだそうと、いつもタイミングをうかがっているのでありました。

でも、いざ今日こそは読もう!とイメージトレーニングまでしていったのに・・・急に自信がなくなったり、お腹も痛くなって(涙)バカバカ自分。明日こそはぜったい!

あと二日で5月のセンター訪問が終わる。6月からは農村へ。また戻ってくるつもりだけれど、今できることは今する。一ヶ月、間に後悔なんてはさまないよ。

58にちめ

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2009年5月25日 (月)

気になるあの人

はじめて、フィリピンにきてこんなに「ニガテ」な人。

男の子センターという保護的な空間で育っていく子どもたち。その時はいいが、だれもが卒業したら社会に復帰しなければならない。うまく社会に適応できるよう、社会復帰を促す役割がここでは「ソーシャルワーカー」。彼女は一人で32人のやんちゃっ子たちをまとめあげるため、時に厳しく(ほぼいつもか?)でも一人ひとりと真摯に向き合う。とても尊敬できる人。

あんまりよく覚えていないんだけど・・・最初はすごくウェルカムしてくれて。前にも日本人がきていたのよ、って。でも、ある日からというか、現在も。なんだか彼女は私のことをよく思っていないのです。。。気のせいかな、と彼女のその男の子たちへの強気な態度には慣れているし、私のことを同じように扱ってくれるのはかまわないのだけど。ずーっと、気になるから「コミュニケーション不足だ!」と思って。私の感じたこと、彼女の考えを話そうきこうとタイミングをずっとうかがっていて。(それがここ半月のスケジュール帳に書き出している目標になるくらい!)でも避けられているのか、忙しいのか。なかなか実行に移せないのが引っかかっている。

一方で、最初にシャイだった彼女以外のスタッフ、母親仕事役のナナイたちやブラザー’s、そして男の子たちとは、やっと打ち解けてきて楽しい今日この頃。フローレスデマヨっ子たちとも、仲良しです。

最近のビックニュース、というか遭遇率が高いのか・・・

フィリピンでは、男の子はある一定の年齢に達するとみんなやるらしい。特設診療所が村に設けられた、みたいなニュースもみたし、ボランティアで、ストリートチルドレンに移動医療車でも施す予定だという医学生にもあったことがある。

10歳前後の子たちが、ごっそりとセンターのジープに乗ってでかけていき、悲痛な面持ちで帰ってきた。みんな、ズボンの前を手でつまんでよたよた歩いている。ときどき心配そうに、中をみつめる。年上っ子たちはその姿をみて、なにやら得意げに、にんまり。

そう。「割礼」という言葉をご存知ですか?たぶん、キリスト教の慣習で男の子のおちんちんの皮を切り取る?手術を受けてきたのです。いや、手術というと何か悪いものをとったみたいで「それはちがう!」と否定されたっけ。

とにかく、彼らにとっては大人に近づくため、避けては通れぬ試練のようなものみたい。だから、もうそれをすでに終えている子たちは「まぁ、がんばれ」みたいに涼しい顔して。女性陣、女兄弟や母親たちも(センターには入っていない、男の子たちの兄弟にも受けさせるために同行)恥らうでも障らぬでもなく、温かく見守っている。

ズボンつまみながら歩く姿がペンギンみたいでおかしくて、笑ってしまうのだけど・・・すごく、真剣な顔して、大事な宝物のようにこっそり見せてくれたクラレンス。

うん。これは痛いね、、、

わらってごめんね。すっごく、大事だもんね。男兄弟いないからさ~しらなかったのよ。

その「当たり前の恒例行事」風景は微笑ましくも、なかなかカルチャーショックでした^^

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2009年5月24日 (日)

雨とフィリピン

雨がふると、のきに入って雨宿りをする。

色とりどりに、カサの花が咲く。

「ぬれちゃう」と身を守る人びと。

「さぁ、水浴びだ」

すっぽんぽんで、路上に飛び出す子どもたち。

屋根のといからの水がシャワー。

歩道橋の上で、上茶色い水溜りにダイブ。

ぬれたTシャツをぶいんぶいん振り回す。

雨って、なんて楽しいんだろう。

そんな声が聞こえてくる。

これも、日常。

土のない道路からは川のように水が流れ、場所によってはすぐに浸水するマニラ。川を渡るように蟹股で歩き、部屋へつくと「ひーっつ」といいながら足を洗い、あの水の成分を想像しぞっとするワタシ。まだまだ修行がたりませんな。

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2009年5月22日 (金)

ジョリビーの窓辺から

さっきから、ずっと窓のそとをみている。

男の子が、12歳くらいかな。ママにおそわって、駐車場で車の誘導をしている。暑いだろうに、小さい身体で一生懸命。

すごく、かっこいい。と思った。

移民局に近いこの場所は、局の関係者や外国人など自家用車でやってくる人が多いらしく。狭い駐車場にはかならず若者や少年がいて、「オーライオーライ」して小銭を稼いでいる。みていると、少し離れた場所には仲間らしきグループがいた。

つるんでいるように見える、色の黒くて髪を金に染めたおにいちゃんたちは、そこだけをみると「あーまた仕事のない、マニラの若者たちね。。。」って見過ごしてしまう。

今日はパスポート申請のため、朝5時半に家をでて6時過ぎには移民局に入り、閉まっている窓口の前で1番をとろうと8時までベンチで寝て待っていた私。手続きを済まし申請料を払って、あとはビザ申請スタンプが押されてくるのをさらに待っている。

そこはフィリピンNO.1ファストフードの「Jollibee」。(マクドナルドが唯一勝てないらしい!)涼しい店内でアイス一個注文し、3時間。書き物をしながらガラス越しに外をずっと眺めていた。つるんでいる兄ちゃんグループは、どうやらそこを拠点に駐車場の整理をやっているらしい。

ジョリビー

誰かの子どもなのだろう、まだよちよち歩きの赤ちゃんの、面倒を交代でみている。日本の感覚なら、「こんな場所で・・・」と目を覆いたくなるのかもしれないが。確かに路上は汚いけれど、石ころも砂も子どもはおもちゃにできる。金パツ兄ちゃんが仕事をしつつ、子どもを気にかけている姿は。微笑ましくも、せつなくも感じた。

「仕事がない。」

フィリピンは、国内総生産の1パーセントが海外出稼ぎ労働者の送金、というくらい産業がなく、みな海外で仕事をしている。一方で、海外にでる=飛行機代、海外での働き口、パスポート代erc..まとまったお金も必要だ。借金しても、どんどん.国外へ出る人々がいる一方で。国内で、雇用者がいなくたって。自分で見つけた、「しごと」をしている人がたくさんいる。彼らが、マニラを支えているのだと、思った。

たくましいな。

あたしはこんなところで、何をやっているんだ。フィリピンでは誰もがみんな、食べるため。家族を養うため。路上で、山の中で。海で、そして国外で。今日も働いている。はずかしいな。あたしも、早く働きたいと思った。

でもね、今は。今だけは、神様が私に与えてくれた時間なのだと思う。使命があって、私はここにいるのだと感じる。だから、だから

精一杯、いま こうやって、できること。いつか必ず、役に立つ人間になれるように。

見る 聞く 足を運ぶ 考える そして書く。

絵を描かせてもらった。彼らにみせたかったな。

Image

真ん中の、お母さんと思われる女性のうしろ姿が、きれいだった。

2度目のビザ申請。約2ヶ月がたちました。

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2009年5月19日 (火)

路上のともだち

たまに見かけると、きらっとウインク 飛ばしてきたり。アテ、 って人懐こく呼んでくれた少年。

たしか年を聞いてびっくりした覚えがある、13歳くらい。マセてて、よく言えば大人っぽくみえたからだろうか。

女の子センターに行く途中の、住宅街をいつもひとりで歩いている。まっくろい顔して、同じ服を着て。おうちはどこにあるのかな、家族はいるのかな・・・思ってしまう、いでたちだった。

今日、彼に久々に会ったから。来月からラグナ州にいくの、しばらくここへはこないのよ、と私の6月からの予定を話した。

「あそこみたいな、家にいくの?」聞いてきた彼。

私がいつも、彼と会うその道を通って訪れているセンターのことを知っていた。どんな子たちがそこで暮らしているのかも、知っていたのだろうか。

さびしそうな表情をしてこう言った。

「マハル ポ キタ」

マハルキタはアイラブユー、愛しているという意味。でも彼はその言葉に「ポ」を使っていた。

タガログ語では敬語にあたる「PO」。「POを使いなさい」と、妹に注意する姉の姿をみかけたこともある。特に子どもが目上の人に対して、話す声によく聞こえる。敬語みたいなものだから、私も積極的にPOを使うことを心がけていたら。「小さい子どもみたい」と言われたこともある。

マハルキタじゃない、マハル ポ キタ

初めて「ポ」のついた、フレーズをきいてなんだか切なくなった。本当の関係なら、きっとつくはずない。

彼が、こっちを通ろうと公園の中をつっきる近道に入った。教会とバスケットコートがあるその道は、薄暗くて人気が少ない。私もよく通る道だから、ふつうに後をついていった。

いつも持ち歩いているちいさなメモ帳とペンは、出会った人の名前を忘れないためのサイン帳。そうだ、と思いついて渡したメモに書いてくれて、初めて知った彼の名前は

wilfred

ありがと、って持っていたレモン味の飴をあげた。おっと、「たべもの」をあげたけど、これに迷いはなかったよ、もう彼とは友だちだもの。

「ぴょん、チュ、ぺっ」

(その後のできごとを、擬音あらわすとこんなかんじ。)

!!!!

ぴょん、と肩に手をまわし私の高さまでジャンプしたと思ったら、

チュっと、右ほっぺたにキス!いや、最初唇をねらってきた気がする・・・

ここまでは、なんだかかわいらしかったのだけど。その後

ペッ、ってつばを吐き出した・・・失礼な!?(しょっぱかったのかしら汗)

歩きながら、一瞬のできごと。出口で彼は、

「笑顔が、   」

なんとか、って最後の部分が聞こえなかったのだけど。一言のこして。

路上にでると彼はどんどん先にあるいて行ってしまった。

びっくり、コノャローマセガキ!と苦笑いしつつ。思い出すとなんだかせつない。

・・・

彼とちゃんと話をしたのはこの日が最後だったな。数日後、偶然入った食堂で、テレビを見ながらご飯を食べていた。あっ、って目があっても、彼はしらんかお。

食べさせて、もらっていたのかもしれない。そう、あの日公園通ろうと誘ったのも、道路に出たとたん歩いて行ってしまったのも。住宅街だから人目を気にしていたのだと思う。あたしの目的地もすぐそこだった。

たぶん。彼はどこに住んでいるのかはしらないが。この住宅街をフィールドに、生活していたのだと思う。ここに住んでいるはずはない。でも、いつも歩いていたのはゴミを探したり、たまに食堂でごはんを食べさせてもらったり、していたのだと思う。

私とのやりとりを、この近所の住人たちに見られては困る理由があったのだろう。注意をしていたのだね。

・・

センターがあって、そこにいけば子どもたちのために何かしてあげることができる。でも、センターに入っていない子のほうがもっと、たくさんいる。当たり前だけど、何もできないんだな、ってやっぱり悲しくなる。センターにはいればいい、とかは言えないんだけどね。

センター以外の場所で、彼と出会えた思い出は貴重だ。

心から笑顔になれない日が続いていた。辛かった。でもね、たまーに見かけたときにあいさつしたり、おしゃべりしたり、ほんの少しの時間だったけど、彼といっしょに笑っていた日があったんだな。

彼がほんのちょびっとでも、うれしいって思っていてくれたなら。聞きとれなかった、言葉の最後は

「えがおがいい。」

って褒めてくれたのだと思ってる。

辛くても、辛いときこそいつも笑顔でいなくちゃ、って。彼が私に教えてくれたんだ。

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2009年5月18日 (月)

さびしいについて

さびしいという感情について、考えてみる。

・・・

うれしい 楽しい は表に出したいと思うし、すなおに誰かに伝えたくなる。

悲しい 辛い 苦しい の心境は、外からみてそれと察しがつく。

そして何より、自分で自分の感情に気がつきやすい。でも、

さびしい

ってどうだろう。うれしい よりはマイナスだけど、悲しい よりは深刻じゃない。外から見ても、あまりわかりやすい表情ではないし。自分自身がその感情に気がつきにくいのではないか。いや、認めたくないのかもしれない。

・・・

私の中で、ここ2,3年の間考え続けてきたテーマである。

・・・

人のさびしいが、伝わってくる機会はあまりない。

彼らのそれは、私の知っていた さびしい と比べものにならなかっただろう。

「ファミリーデイ」という行事が男の子センターで月に1度ある。センターでの生活をしている男の子たちの親が、休日にやってきて一緒に過ごすという日だ。センター側がゲームなどのプログラムや、ランチを用意する。

親たち、それは父母だったり、どちらかだったり、祖父母や親戚だったり。兄弟を連れてきたりもする。毎月必ずくる家族もいれば、めったにこない家族もいる。

男の子たちは、朝からみなソワソワしている。来るかこないか、はわからない。

たった一人の家族だといっていた、エマニュエルのお母さん。ふだんは一生懸命働いているという彼女は、すてきな人だった。息子の気がやさしいのは、そんな母の姿をちゃんと知っているからだろう。

真っ黒く日に焼け、そして細いマーヴィンのお母さんは路上での仕事が長いのだろう。まだこんなに、ちいさな弟がいたのか。

うりふたつの弟と母親を紹介してくれた、クリスチャン。

耳の大きなクラレンス、ほらおばあちゃんだよ、ってうれしそう。若くてやっぱり耳が大きい。

「こんな顔して笑うんだ。」ってびっくりするほど。家族とすごす子どもたちは幸せそうだ。

お母さん、あなたはすごい!!

“ang galing galing mo, Nay!”(アン ガリン ガリン モ、ナナイ!)

フィリピンでも母の日がある。そういえば、道でカーネーション売っていたっけ。今日はそれにちなんだプログラムらしい。ソーシャルワーカーのアテ・ジェーンが事前に男の子たちが書いた、母親へのメッセージをみなの前で読む。自分の手紙の順番がくると、もっていた花を母親に渡しにいく。

喜んで、涙ながらに抱きしめキスする母親。はずかしそうに、微笑む息子。

母親はいないから、父親に渡しにいく子。

年下っ子は、親にくっついているけど。13,4歳くらいになると、親が来ていない子を気遣うのか、父親がいてもその花を、センターの母親仕事スタッフに渡していた。

親が来なかった子たち。さびしかったね。

「へーん」って感じに、強気にふるまっていた子も終わった後に泣いていた。高校生、最年長の彼は、プログラムが終わったと同時に、昼寝から起きてきた。

私もさびしかった。でもこれは彼らとは違う、さびしさ。

最近は男の子たちも慣れてきて、仲良くなってきたと感じている。でも改めて、なぜ私はここにいるのだろうと思った。私には家族がいる。帰りたいときに帰れる家がある、今は少し遠いが。

なにができるのかな、わたしに。

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2009年5月17日 (日)

とある日本のNGOにあって思ったこと。

マニラといえば、ゴミの山が有名。その不法投棄のゴミは日本からもやってきているという話だから、人事ではありません・・・。腐敗したゴミからガスが発生、煙がでてきて「スモーキーマウンテン」という名前がついたくらい。現在そこは埋め立てられたそうですが、新たにパヤタスという、「第二のスモーキーマウンテン」という地域があって、見学のためのスタディーツアーに参加してきました。

ゴミ山は宝の山。ゴミから売れそうな、金属を掘り出し「ジャンクショップ」に売って、生計を立てている人々がたくさんいます。パヤタスにはソルトという、日本のNGOがあって、主に女性と子どもの支援をしているらしい。同じ女の子センターで住み込みボランティアをしていた人が、行くといったので付いていきました。

においがちがった。それはゴミとかし尿のにおいではなくって。プラス化学物質が混ざったような、マニラの「生活臭」とはまた違う匂い。スタディツアーは、NGOがひらいている子ども向け補習事業に参加し、ランチを子どもたちと一緒にいただく。その後どこかの大学からインターンできているらしい、日本人学生や現地住民のスタッフに村を案内してもらったり、女性たちの自立目的で作って、日本向けに販売しているという刺繍製品をみせてもらった。

他の参加者はフィリピン初心者らしく、その途上国イメージにぴったりのパヤタスを訪れたのでしょうか。あるおうちの前を通らせてもらったとき。最近きた台風の雨で、床下浸水がようやく収まったという。洗濯物を干しているお母さんがいる、彼らのごく日常を見物させていただいた。

スタッフの人がインタビュー風に話をしていたとき、参加者から出た質問。面白かったんだこれが・・・

「この家に、何人くらい人が住んでいるのですか?」

そりゃ、家族の数だけ住むでしょうよ!

私はその、動物園で動物の生態に関するような質問をする人たちに「あぁやっぱり発展途上国のイメージだけでフィリピンを訪れる人たちの見方ってこうなんだな。」と改めて思いました。

う~ん、なんだかツアーの間中、ずっと違和感。

村の人々はなんだか日本人慣れ?していて。まぁこうやって、日本人がよくくるということでしょう。「ゴミ山で生活」しているって、すごい悲惨なイメージだけど。よっぽどもっと都市部の繁華街裏のスクウォター(不法占拠地)エリアの状況の方がすごい。そして大きくはないが、街のあちこちにはやはりゴミ捨て場があって、生活の糧にしている人々はたくさんいる。パヤタスは代表的、としか私には見えなかったな。

現地の人と触れ合えたのはよかったのだけどね。。。

日本人スタッフ・・・

NGOは資金集めがたいへんで、ツアー客の日本人から金をとりたいのはわかる。日本からこれだけの目的に、訪れた人からはどんどんぶんどっちゃっていいと思うけど。でもその料金は破格!限りなく現地生活に近づこうと試みている学生に同じねだんは・・・半日だけで1000ペソ?学生とは交渉とかってHPには書いてあったのに、話がでないままなんとなくの解散で終わったツアー。あれ、お金はどうすればいいの?としこりが残る。

同じ学生、インターンって何しているか聞いたら。こうやって日本人の観光だかスタディツアー客の相手や、報告書の作成、書類の翻訳とからしい。「おもしろいの?」って正直思った。もちろん、組織運営のマネジメントは重要で将来役に立つかもだけど。ここフィリピンですよ~

まぁ、人のことはいいや。

そして、極めつけは。後日私が妥当だと、自分で交渉し納得した料金を振り込んだ後きた領収書の宛名。・・・別人の名前でびっくり。小さいことかもしれないけど、大丈夫?ってきたくなった。きっとこれもインターン学生の仕事だろうけど。

今日は随分ぐちってしまった、ごめんなさい。

最初、自分がフィリピンで1年暮らそうと思ったとき「どこか日本のNGOに所属した方がいい」といわれ、探してみたりもしました。でもなんだかどこもピンとこない、ってか(フィリピン人には優しいんだろうけど、人としてどうなの?と思う扱いを受けたり。)既存の形態が一番よいとはわからない、自分にとっても一番学ぶことができるとは限らないと考え直すようになり。

やっぱり現地で、なるべく日本人の関わっていない、現地の人々の意志で活動している組織と接触したいと思ったのでした。

別に日本のNGOを否定している訳じゃないんです、「フィリピンの人々の役に立ちたい」という想いは一緒のはずだし、実際に行動に移しているわけだから。

だけどね、この際だから「自分なり」の関わり方を模索しようと思った。

久々に日本語をいっぱいしゃべって、日本人といて不思議な感じがしました。

その時、その瞬間しかない状況で何を選ぶか。たった一年間で全てを得るなんてできない。だからこそ、私はこの一年間で、できるだけ自分をフィリピンに浸そうと思う。とことん、現地の人々の目線を試みてみたい。

最初の自分の選択を、再確認した一日でした。

・・・

50日め

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