2009年10月18日 (日)

キャンプ暮らし

案外、ふつうだった。

車の音は一晩中ひっきりなし。
「ガシャン」と追突事故が起こったかと驚くほどの音は、大型車やクレーン車がカーブで曲がるときに鳴る音らしい。

夜中、体がかゆくて目が覚める。
羽音とか気配はないのに。手足顔、布から出ている部分が、気がつくとやられている。

薄いベニア板の寝台は、やっぱり身体が痛くなる。ふとんの有難さが、すんごいわかった。でも一番きれいで、厚いダンボールでつくってもらった寝床だから。じゅうぶん。



今夜、はじめてキャンプで寝たのだ。
はじめて、マニラの外でねた。

・・・・

農地改革省前のキャンプは、各地農村からだいたい一週間、2,3人くらいが交代で、土地に関する法律延長請願運動の一環で、張り込み?生活をする人が集まる。


それにくわえ、イモックの友人たちが生活の糧を得るため、キャンプ前の路上で野菜を売る。
月曜日から金曜日まで、一週間のほぼ3分の2、子どもを村に留守番させて上京。

運動人たちも、野菜売りのイモック村民も、たまに遠くからやってきた誰かの友人も(宿泊代をうかせるため)
どこの人かよく分からない人も。
みんなが一緒に生活しているのが、キャンプ。

実はみんなキャンプで初対面、とかも普通にあるらしい・・・
が、ここがフィリピン人のいいところ。
面識あるなし関係なく、NGOに関係している、とかなにかあれば、誰とでもいっしょにやっていける。

そんなこんなで、朝おはようを出かけ前に言いに寄ったり、
ご飯をいっしょに食べたり、野菜売りを手伝ったり掃除をしたり。
一緒に時間をすごすようにしていたら。

いつの間にか、私もキャンプメンバー仲間入り。


「なんでここで寝ないの??」

と、しまいにゃ、だいすきなローラに聞かれる始末。笑



寝心地がいい訳ないこと知ってるし(キャンプメンバーも、一週間いれば体調崩す始末・・・)
普通にマニラの外で寝るなんてこわかったし。


でもここまできたら、一度はこのキャンプで寝てみなくては。
とはずっと思っていた。

日やキャンプメンバーをうかがって、ついに今夜決行。


みんな、眠りなれない私が少しでもよく眠れるよう。
一番いい場所をあてがってくれた。
板とダンボールだけだけど、こんなにやわらかいベッドを私は知らないと感じた。

いける!やったよ、わたし!!

やはりよく寝れないので、次の日は寮のベッドで眠りなおしたけどね。

・・・・

ずっとずっと、自分の生活が気に入らなかった。

私はマニラで、また前と変わらずの生活に戻ってしまう。

後ろめたい、と思った。
なんのために平気じゃないのに、平気なふりして、農村コミュニティに入り込んで、
関係築いて、仲間に入れてもらって。

どこぞの外国人としれない私にも、

「おすそわけしてくれた」

そんな、農村の人々に、こんな生活見せられない、申し訳ないと思った。
でも、マニラにちゃんと、自分だけの落ち着いた生活があるからこそ、

自分を限界まで試せる。一人でもやっていける。

これ、事実。

だからもう、線を引こうとするのはやめた。
どっちかに属するとか、自分を位置づけるとか。ではなく、

境界線をいったりきたり。

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2009年10月14日 (水)

マニラ暮しの手帖

改めて、自分が「フィリピンで生活する」という意味を考えながら、
4月から出会った人・団体との関係をどう継続していくか、これからどう発展させていこうか。

揺れ悩み悶々と、考えた7月の1ヶ月でありました。

やってみた行動は、

・農村の話を、まずはマニラの子どもたちに話したい。 ⇒男の子センターを再び訪れる

・子どもと年配者と関わってきた。次は同世代! ⇒大学に進出してみる

いちばん模索したのが。

・自分の生活をどうしていくか。

週2日づつは男の子センター、大学サークル
1日は手紙を書いたり、ネットカフェで情報を得たりメールしたり。のんびり休息日。
そして、残りの曜日は農民団体のキャンプへ通ったというのが、7月のスケジュール。

プラス、今まで寮の家族と食事をともにしていたのをやめ、
自炊スタート。

日本での一人暮らし生活もそうだけど、
自分で自分がなにを「食べる」か決めることは楽じゃない。
でも、野菜や肉魚など、なまものを買って初めて生活が見えてくるんだ。
それは、ほしいものを買う、という買い物じゃない、毎日食べていくための買いものをするなかで気がつくことがあるから。
値段の上下とか、季節や気候。また、自分の住んでいる土地についてや他の人に比べた、自分の立ち位置というか。

マニラでは、夕方人々の帰る時間にあわせて、路上にマーケットができる。
果物に野菜、肉に魚。
おもしろいことに、生鮮食品以外にも雑貨(アクセサリーや衣類、めがねに携帯ケース?)などほんと、いろいろな露店が現れる。みんな、地べたにしいた、風呂敷の上に品物を並べた感じ。

これいくら?
どうやって料理するの?
半分だけ、ちょうだい。

買い物するうちに、覚えていくこんな会話。


うちの寮には冷蔵庫があるけど、ない家庭の方が多いことに、毎晩マーケットがでる理由が分かった。
ここでは量り売りが基本、暑い気候ではすぐ悪くなってしまう。その日に食べる料理用に、食べる量だけを皆買って帰るのだ。
もう一つ、理由がある。

普通に、買い置きしたパンとかお菓子をビニール袋にいれておいたら。
アリが!!!
キッチンや室内でさえも、あまった料理のお皿を出しておいたら、数時間後にはアリだらけ。
なんど、アリには泣かされたことか。

日本から送ってもらっただしの元とか、後輩にもらったフリーズドライの牛丼、大事に戸棚にいれておいたら・・・
ねずみに食われていた・・・

弱肉強食の世界。(ちょっとちがうが、食べ物を全力で守らねばならぬ世界。)

とっておいて、後で食べようなんて、甘い考えは通用しないのだ。

だから私も、卵一個とか、米1キロ、かって帰った。







そういう、生鮮食品や雑貨を売る商売をしている人や、
サリサリストアという、玄関先での生活用品店の人と接する機会が増えた。

最初は、人も多いしすこし怖い気もしたけれど。
こっちがふつう、なんだよな。

でもスーパーやドラックストアもだいすき。
シャンプーや洗濯洗剤、トイレットペーパー、虫除けクリームを買っていた。

たまにご飯を食べていく、いつもトライシクルドライバーさんだらけのカンティーンこと食堂や、顔見知りのパン屋さんもできた。


・・・

普通、寮では自炊は認められないらしい。
幸い許してくれたのと、コンロが外にあったので、家人に気兼ねなく自炊をすることができた。

蚊や猫と戦いながらも(本気で、狙われるのです)問題なくご飯を炊いたり、
野菜を炒めることのできた一口のコンロ。
ある日突然、消えてしまった(持ち主が持ち帰っただけなのだけど。)という事件がありました。

ガスって、一口に言っても、フィリピンではタンク入りを配達してもらうのが主流。日本のように、引っ越した当日、ガス会社に回旋の連絡をすればひねるだけででてくる、ってもんじゃない。

「使い始める」にあたって、必要だったのが

・コンロ本体          約500ペソ
・ガス栓              100ペソ
・ガス栓をつなげるやつ    100ペソ
・ガスのタンク(レンタル用)  700ペソ
・ガスの中身        7ℓで1000ペソ

これ、全部そろえようとすると、ふだんの生活費に比べ、かなりの額が必要なのです。
私の場合、一日の食費はだいたい70ペソ以下くらい。(朝パン、昼その辺のバナナとかいただきもの、夜ごはんとおかず)
庶民とかわらないはず。

それに比べたら、約2500ペソって・・・
大きいでしょ?

マニラの貧しい家庭は炭だし、農村では火を使ってた。
頭金の大きさに驚き、一般家庭じゃなかなか「ガスを使い始める」
ことが難しい理由を、実感。

結局、同居人のフィリピン人女性が秘蔵していた未使用のコンロを譲ってもらい、
ガスタンクも大家さんが貸してくれることになって。

ガス栓・レギュレーターとガスの中身の購入だけでことは収まったのです。

日本円にしたらたいしたことない額だけど・・・当時(も今も、笑)低額生活を試みている私は、2週間くらいガスのことに本気で悩んだのでした。

ばかばかしい、と思うかもしれないけど。

「現地で、現地の人の生活すること」が
おおきな目的でもある私には、とても意味のあることで、妥協はしたくなかった。

そんなこんなで、「生活すること」に必死になった7月でした。

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2009年10月13日 (火)

私はマニラでどう生活するか

マニラに、戻ってきた。

時間、便利さ、清潔さ、金銭感覚

どれをとってもちがいすぎる。

農村⇒都市
同じ国の中を単に移動しただけなのに。

フィリピン⇒日本
過去、サークルで2週間をフィリピンですごし、帰国したときと変わらぬ
自分がいたことにおどろいた。

ぼーっとしてしまう。

つい、一ヶ月前まであたりまえのように消費していたのにも関わらず。
その中に、何事もなかったかのように再び戻ることもできる。
いや、前だって最初はなんだか違和感を感じながら。感じながらも、やっぱり20年以上すごし慣れた環境が私にとって自然だから。
そうやって、せめて心だけはといいながらも、日常に戻っていくのだった。

マニラでも、限りなく自分のホームと変わらぬ生活を、しようと思えばできる。
バスタブとお湯がでないことをのぞけば。



家人の親子は、いつもソファに腰掛けてテレビをみている。
アハハと笑う、その横で。メイドの女性が料理や洗濯をしている。

私は、時計と携帯を気にしながらジープに乗る。
一週間分の買い物をして、冷蔵庫に入れる。
水の心配もなく、おもいっきり毎朝じゃぶじゃぶ洗濯できる。

ルームメイトがいる。
日本人の彼女は、大学院生でジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレンを支援するNGO団体でインターンをしながら、論文を書いている。




生活というものは、自分で決めたリズムを刻んでいくのだと思う。
その状況によって幅はあるが、うまく一定のリズムが整ってきたとき、かつそれが自分にしくっときたとき。
“ここちよさ”や“おちつき”
が生まれるんじゃないか。

・・・

違うのは、今は「おなじ国」にいるということ。

6月の一ヶ月間を過ごした農村。いろいろな村や家庭を渡り歩いた。
同じ国なのに、こんなにもちがうものか、と驚いた。
同じ国民なのに、悪く言えば、こんなにも原始的なのかと感じた。


もはや、生活に国境はないのだということに気がついた。
違いがあるとすれば、それは貧富の差。


だから、もうフィリピンでどう、日本でどう、農村で都市でどうこう、とかじゃなくて。

私はどう生活するか。

なのかもしれない。

どうする?







高級住宅街に位置する、寮から一キロほど先には。
農村の仲間たちがいる、キャンプがある。

省庁が立ち並ぶ、道路に面した路上に
廃材で柱をたて、椰子の葉を編んで壁をつくり、ビニールシートで雨よけしたキャンプ。



イモックの山から、イモックの人々が育て、収穫してきた野菜を売る人。
土地に関する裁判や、異議申し立ての理由でやってきた人。

絶えずそこには、人がいる。
農村の人々の生活がある。




遠い世界だった、でも

今も近くに。

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