2009年8月28日 (金)

新学期

日本もちょうどそんな季節ですね。

おっと、フィリピンの話はまだ6月半ばです・・・

韓国へいってました、更新できずにごめんなさい。これからえいや~っとごぼう抜きに日々駆け抜けてゆきます。

6月16日

・・・・・・・・・・・・

長かった、4月からの夏休みもようやく終わって、新学期。

いつもは泥だらけ、ボロボロなのに、きれいな制服をきてみんなうれしそうに久々の学校へ行った。

でも、アテ・ネネだけは浮かない顔。朝早くに山へいって、戻ってきた彼女は、私の顔をみるとすご~くバツ悪そうにする。何かと、彼女についていったり手伝おうとすると、すごく嫌がられた。

学校いや、なのかな。たぶん、進級できなかったの、イヤで行きたくないのかな。あたしに知られたくなかったの、かな。

・・・

子どもたちが学校へ行っている間は、ウソみたいにひま~~~急にすることがなくなってしまった。

久々にタガログ文法書ひっぱりだしてきて、外で木陰に座ってめくったり。や、気がつくと落書してた・・・。

向かいの家に住んでいる、4歳の子持ち若夫婦。今まで、どうやら私より一つ年下の、奥さんとは話が通じなかったのが、最近ようやく話をできるようになってきた。その奥さんこと、グレイスはもう「かあちゃん」の貫禄たっぷりで。知るまで、年下なんてこれっぽっちも想像つかなかったよ。朝、だんなさんが馬で山にいくのを見送ると、息子にごはん食べさせて、後片付けして、洗濯して、買い物して、また昼ごはんの用意して、、、、主婦もいそがしい。

私も含め、同世代でまだ独身、遊んでいるような娘たちとはやっぱりちがう。結婚式の写真みせてくれたけど、若かった~高校在学中に妊娠したから、中退したんだって。

「ふたり目は、この子が一人でいろいろできるようになってから」

フィリピンの家庭にしては、めずらしく一人っ子時期が長いこの家庭。息子のジャクセルに兄弟はできないの?ってきいたら。えらい、家族計画があるらしい。兄弟多くて苦しい家庭、近所にたくさんいるからね。

・・・

子どもと遊ぶのもいいけど、同世代と話す時間もすごく、たいせつだと思った。けどここの人たちシャイでなかなか話してくれないんだ~涙

ここの人々は、皆家族単位の狭い世界で生きている。外からやってきた私に対しては最初、目を皿のようにして驚き、疑い。でも、

百の言葉より一つの行動

って信じて。その次にやっと、言葉が心に届くのだと信じて。今日までやってきた。少しずつだが、私を示し、また相手をしること。距離を縮めることができてきたのだと思う。こんなに力を抜いて、笑えるなんて最初は考えられなかったなぁ。何を思われているか、こわくて悔しくて、必死に「バカンスしてるんじゃない~~~」って、がむしゃらに、手伝って働いて身体うごかしてたなぁ。

今は、もう安心して、自然体でいられる。やっぱりあたしがここでできることって、同じように人々と働くことではなかった。しっかり

目で見て耳で聴いて鼻で嗅いで頭で考えて

それを伝えるために、絵と文字で記録すること。

から、子どもと遊んで、おじさんおばさんおばあちゃん若者たちと話して、のんびりもして、手伝いもして、ぎゅ~~~っと濃く、こく生活した。それが、やっと見つけた、このイモック村との、今のあたしの、関わり方だった。

今夜、また収穫物をジープに積んで、マニラに出発する便で旅にでる。今回はこの近辺の、また違うエリアの農村を渡り歩くことになる・・・予定らしい。(どのようにして、かは?)

新しい人、場所。

うん、たぶん。もう私はどこでもだいじょうぶ。

アテ・ネネがサントルという、みかん大の大きさで、すっぱくて塩をつけてたべるとおいしい木の実を食べていて。「おいしそ~」って言ったら。もうないよ、って。

朝、机の上にサントルが山盛りに積んであった。あたしが出発するの知ってて、とってきてくれたんだ。

ありがとう。帰ってきたら、ちゃんと言わなくちゃ。

・・・・・・・

78にちめ

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2009年7月23日 (木)

アボカドの贈り物

「アボカドがすき。」っていったら、いろんな人からアボカドをいただくようになりました。

食べごろというのがあって、そのつど「明日」とか「三日後くらいだね」とかアドバイスを受けます。

大事にまくらもとに置いて、アボカドと一緒に寝る生活が続いています。

ちなみに、こっちの食べ方は砂糖をまぶして、おやつとして食べます。わたしが「醤油とレモンをしぼって食べる」といったら、信じられないといわれました。

私もホントは砂糖なんて驚いたけどさ。やってみたらなかなかいけた。でもそもそも、フィリピンのとりたてアボカドは、日本で売ってるやつなんかと比べものにならない。こってり、自然な甘みもあって、ほんと「森のバター」って感じ。そのままでおいしい。

アボカドは年中とれる訳じゃない、旬があることをしって。ただのおすそわけではない、貴重な贈り物だったことに気がつきました。

思い出すと、なんだかくすぐったい気分にしてくれます、アボカド。

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2009年7月22日 (水)

しごと風光

「疲れた」なんて、恥ずかしくて言えない。

野菜も動物も待ってはくれない。目を離せばすぐ、死んでしまう。

それが「自然と生きる」ということ。思いどおりにいかせようなんて、なんとおろかな人間の考え。

・・・

6月12日(木)

イモック村には田んぼはない。ココナツ、バナナ、パパイヤ、キャッサバ(これらはフィリピンどこでも)、野菜やパイナップルが山にある。

フィリピン主食の「米」がみたかったことがあり、少し離れた地域にいる「オーガニックライス」先駆者のお宅をたずねた。

稲刈りしたばかりで、イネたちにはお目にかかれなかったけど。田んぼのあぜ道をあるきながら、話をきいた。

2週間後くらいに田植えをするらしい。もちろん手作業、このためにバイトのように人を雇うんだって。オーガニック農法はまだこの辺では普及していないそう。なんでも、日本人が教えに来ていたのだって。フィリピンでは3期作らしい。相当忙しそう。。

・・・実は、このお宅についたとき。なんで来たの?ムードいっぱい。(連絡がいってなかったらしい)明らかに困っていた・・・。しかし必死にフィリピンにいる訳、農村にステイしている訳、米がみたい理由を、ほんと必死に、、話した。幸い、話を聞いてくれた先方に「お前はアクティビスタか!?」といわれた。いぇ、そういうわけでは・・・(フィリピンだとその方がわかりやすいかも)

・・・・・

6月13日(金)

ここは山の斜面上のアンパラヤ畑(にがうり)。

ちっちゃい、ほっそい「ツル」を支柱に巻きつける大きなお父さん。朝顔のように育ってきた苗は放っておくと、地べたをはってしまう。ひとつひとつ、赤ちゃんの手をやさしくとるように。ちいさなお母さんは、背丈ほどある草を刈る。

ここは、アテ・ラニー夫婦の畑。

彼らと6人の子どもたち。長男オーマは高校生、でもマニラへ父母が行商に行けば、代わりに山へ馬に乗っていく。泥だらけになってのキャッサバ収穫。手に入れたお金で、末っ子ジャスミンにお菓子を買ってあげていた。

長女ネネ、この子も兄に負けず、山を知り尽くしている。木登り名人。今日は頼まれて、10メートル近くある「アボカドの木」に上って、実の収穫していた。みんな、こうやっておこづかいを稼ぐ。

ジェニリン・ジョナサン・ジョリーンは、末っ子のジャスミンと、私の係。。。

朝から仕事についていったけど。実際、私がいても大して仕事はできない上、かえって怪我をしないか、いなくならないか、と大人に心配と迷惑をかけてしまう。情けないけど、昼ころに、子どもたちと先に山を降りた。父さん母さんたちは夕方まで畑でしごと。アンパラヤの収穫で、生活がきまる。

・・・・・

6月15日(日)

タガログ語で「ブンドク」、“山”にすんでいる人々もいる。電気も水道もないので、馬にポリタンクを積んで、毎朝お父さんが水を汲みにくる。一週間に二回ほど、たまった洗濯物も積んで降りてくる。お母さんが水道で、洗濯をするのに一日かかる。

アテ・ピヤは26歳、ちいさな女の子が2人。片手に乳飲み子を抱っこして、私を家に招待してくれた。人見知りのシーメイ、おろすと泣くから。。。やっぱり抱っこしたままで、鎌をもって庭へ行き、収穫したナスを油で揚げてランチを用意してくれた。

細い木の、手作りの家。床は土だから、食べこぼしたあとにアリの行列が!自分も食われるのではないかとこわくなるほどの、生命力。と思えば、ニワトリが入室してきて、横取りするんだけどね。

93年までは、この地域も私有地でガードマンがいて、自由に耕せなかったそう。小作人への土地分配の法律により、今のように“皆で”分担して、農作業ができるようになったのだって。彼女の姉でもある、アテ・ヴァンジーがやはり運動で勝ち取ったのだと、誇らしげに話してくれた。彼女は女だけど、怖がらないって。

最近は、暇な時間があれば家の裏の、「草とり」をしている私。おばあちゃんが「忙しくて、草取りができないの~」と、言っているのをきいて。なんだか実家の本当のおばあちゃんの口癖にそっくりで。草ならとれるし、ついでにゴミだらけ、ガラスまでおちているから拾ってた。

「ブカス ウリッ」また明日ね。

覚えてうれしかった言葉。

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2009年7月14日 (火)

見よう描こう

ここ、イモックで生活を始めて。

いかによく「観察すること」が大切かわかった。しゃべれないから、見るしかない。

目をみる、行動をみる、表情をみる。すると言葉は聞こえなくとも、「心が聴こえてくる」ことに気がついた。わたしにとって、大発見。

・・・

アテ・ヴァンジーの息子の一人、5歳の“イーコ”。彼は、みんながママを尊敬していることを知っているから「威張っている」。近所のいとこたち(アテ・ラニー、アニー子たち)とも、あんまり仲良く遊ばないんだよね・・・みんな腫れ物をさわるように、彼と接する。ぐずりだすと、手がつけられない!

ママに聴いていたイーコ。「どうして?なんで?」仕事を終え、やっと帰ってきたママも疲れて休むので精一杯。

話をしたくて、話をきいてほしくて、仕方ないんだよね。さみしいんだよね。いつも、みんなのために働くママ。誇らしいけど、自慢だけど、やっぱりさみしい。だから、いじわるしちゃうんだよね。

今日は日曜日、近くの街サン・パブロへ新学期のお買い物。そら色「ジープ・ナミン(わたしたちのジープ)」にみぃーーんなで(子12人と親たち)乗って。

鉛筆に、ノートに、かばんに・・・女の子たちの買出し班を待つ間、私はちびっこ&ボーイズと名所?らしい湖外周サイクリングをしてすごす。ちびっこを乗せ、サイドカーつき自転車をこぐのは容易ではなく!そしてコースなのに、あちこちから車が飛び出してくるからヒヤヒヤ・・・もう景色どころか命がけ(他人の命も)サイクリングは疲れ果て。。

でも、お出かけがうれしくて、うれしくて。「あっ、湖にカメがいる!」「あっ、サルがいる!」そんな、子どもたちの姿が見れてうれしかったな。

・・・

夕方、次々と山から採ってきたココナツこと“ブコ”がジープに積み込まれる。金曜日に帰ってきた、ラニー夫婦は今晩また出発し、マニラ路上でブコを売る。山のように詰まれたブコと野菜。荷下ろしを手伝うのだろうか、少年たちもブコの山に乗り込んだ。これからまた五日間、お留守番の子どもたちはお見送り。いってらっしゃいは慣れている。でもやっぱ、さみしいよ、ね。

明日朝4時に、アテ・ヴァンジーと私も、出発だ。なんでも、彼女が計画してくれた私の「農村体験プログラム」は最初の一週間はイモックこと彼女の実家で過ごし、2週間目からはどこか他へつれていってくれるらしい。ん?でもマニラに戻るみたいだぞ??

Image

ココナツは、つながっています!この村だと一つ4ペソ(約10円)マニラだと12ペソ(約30円)になるんだって。

絵を描きはじめた。バナナの花、ココナツの殻、パパイヤの茎。マンゴだって、日本にもあるけど、みたことあるけど、知らないでしょ葉っぱや花やまだちいさな木。

そしたら、みんなが「次これコレ!」ってもってきてくれた。見守られるなかで、大きさがわかるようにと子どもの手も一緒に描いたら。緊張して、真一文字になった唇。

決めた。みんなと絵を描こう。絵で記録しよう。

私にとって、一瞬一言全部が学び。明日からはアテ・ヴァンジーの仕事に同行する。彼女がどんな活動をしているのか、知りたい。新しい生活が、また始まる。

【6月8日 69日め イモック8日め 】

200907121819000

これは、うちのぺると紫陽花。(2009年のとっても一昨日)

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2009年7月 5日 (日)

ききたかったこと。

「どうして、わたしを受け入れてくれたのですか。」

やっと、帰ってきたアテ・ヴァンジーとやっとやっと話ができた。

聞かなくては。聞きたくて、ききたくて仕方なかったこと。

・・・

部屋で、も~いや。

って泣いた。外で、近所の酔っ払ったおばさんの勢いで、また泣いてしまった。

人前で涙を流してしまったのは、フィリピンへきて初めて。あ~失敗した・・・

もう、我慢の限界でした。

「金持ちなんだろう」

「仕事を紹介してくれ」

「私たちはこんなに大変なの」

「あなたたち日本人はいいわよね」

「日本の農業はマシーンでこんなに苦労はないだろう」

みんな、大人はどいつもこいつもこればかり。

そう思われていることは知っていたし、事実そうだし。

そうだよね、そうだよね。っていつも話しは聴いてきた。思ってきたことを、初めて目の前にした「日本人」の私に思いの丈をぶつけたいことは分かる。私も覚悟はしてきたし、自分はそれらの声を聴くことが一つの目標だとも思ってきた。「比べれば」確かにそう。

でも同時に、日本にいる、私が出会ってきた大切な人たちの顔が浮かぶ。

水俣で、「もうだれも傷つけたくない」と農薬を使わず、水俣病と、事実を消そうとする政府と戦いながら、大切にみかんを育てる人々。

就職活動に励む友だち。高校をでて働く友だち。そして、いつも私のために一生懸命働いてくれている両親。

日本はそりゃ、フィリピンに比べればモノやお金の量は「豊か」かもしれない。でも、しあわせ。って心から言える人、どのくらいいるだろう。

だれ一人として、そんな楽して生活している人いない。みんな自分の場所で必死に生きているんでしょ?って繰り返し、いつも「日本はいいよね」話をききながら思った。

「でもね。」私も、つたないながら自分の話をしようとする。

誰もききやしない!言いたいことだけ言い切ったら、気持ちよさそうに帰っていく!

あたしがバカンスでここにいる?誰がこんな汚くて貧しいとこにわざわざ休みにくるかって!!

よく「バカンスでここにきている」と思われているらしく。それが悔しくて悔しくて。仕事に連れて行ってもらえない日は、近所の草をむしっていた。「自分の仕事」以外はしない、「無駄なこと」はしないこのコミュニティの人々。「私はバカンスにきたんじゃない、ここの生活を学びにきたんだから、私は私の仕事をする」って半ばやけになり。人が休んでいようが、昼寝時間だろうが、草をむしってみんながしたポイ捨てのゴミを拾ったりしていた。「行動で示すしかない」ほんと、やけになってた。

・・・

昼間から、なぜだか酔っ払ったおばさん。がーっと。またあれ。

もういや。我慢ができなくなった。勢いで、その場で泣泣泣・・・

おばさん。自分の話に感動したと思っていやがる。くそーくそー

こりゃもうだめだわ、と力も抜けた。

・・・

なぜだか、泣きはらした私をすっきりさせようとしたのか?その場に来たおじさん・おばさん’sが河にいこうと誘い出す。(たぶんみんな酔ってる)も~河でもなんでもいい、泳いでやるとそのままついていこうとしたけど。

さっきから、心配そうにやりとりを聞いていた子どもたちが「だめー」「いかないで」って。

気持ちリセットするしかない、と半ば本気で泳ぎたくなっていた私。「今度いっしょにいこうね。」って冗談だと思ったし、彼ら酔っ払い’s(ぜんぜん、信頼はおける人たちではあるのです)について歩き出したけれど。あまりに、止めようとしてくれた彼ら。

はっとした。今日まで、最初からあたしの味方でいてくれた子どもたち。楽しいことは、彼らとしなくちゃ。と思い直して戻った。行かなくて、よかった。本当にほんとうに、彼らに何度自分は助けられているんだろう。

・・・

ここから早く、出たい。

初めてそう思ってしまった今日。

仕事を終え、やっと帰ってきたアテ・ヴァンジー。家族も私以上に、彼女の帰りを待ちわびているわけだから。やっとやっと、夜になって話をする時間ができた。

心から、ききたい、きかなくてはと思っていた疑問。

「どうして、私を受け入れてくれたのですか。」

「私も外国へ行ったことがあるの。その時、言葉も何もわからない自分を、人々はごはんも移動も、全て面倒をみてくれて、とてもうれしかったの。だから、もし自分の国に誰か外国からのお客さんがきたときには、自分もそうしてあげようと思ったの。」

彼女の答えはいたってシンプルだった。

単純。だけど、なかなかできないこと。

以前、日本に来たことがあると聞いたことがあった。NGOが関係する会議みたいのが日本であったらしい。開催国がいろいろ面倒をみることが当たり前だろうし、日本という先進国の人からみれば、フィリピンをはじめアジアの国々からの出席者の費用を全負担することは当然なことが予測できる。

でも彼女は、それを「あたりまえ」として受け取らず。きちんと感謝の気持ちとして胸に刻み、そしてこんなまったく関係のない、どこのどいつとも分からぬ小娘へとその優しさを分けてくれたのだった。

やっぱり、すごいよこの人。そして、すこし安心した。わたし、

「居てもいいんだ。」

でも居るからには、ここでできること、自分がやるべきことを全うしよう。そして日本で伝えよう。元気がでた。でも、心配なのがお金の問題。

アテ・ヴァンジーは「Saveしておきなさい」

だって。どうせみんなと同じものしかだしてあげられないし、気にしなくていいのよ。それより、大切にして、自分の勉強をちゃんと終わらせなさい。って。

こっちでは、「大学にいける」ってすごいこと。そして入って、ちゃんと卒業することも。でも、でも・・・っていろいろ考えた。

決めた。

彼らへの負担を最小限に抑えることを心がけたうえで、この際もう100%お世話になってしまおう。

もし、これが例えば一定の代金を払って受けられるプログラムだとしたら。私、自分が受けた相手への敬意、感謝の気持ち、こんなに感じられないだろう。一生、胸に刻んでおこうと思った。そして、他の人に分けてあげられるように、なりたい。彼女のように。

申しわけない。居づらい。は、変わらない。痛いし辛い。

でもいつか、本当に役に立つ人間になるには必要な傷だ。証だ。傷だらけに、まっくろになってこよう。ここの人たちみたいに。心に決めた。

【6月7日 フィリピン滞在68日め、イモック村滞在7日め】

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2009年7月 1日 (水)

こわいはなし

<荷台の旅のつづき>

村に戻ってきたのは12時。この時間、異国ではものすごく辛い。夜になると頭が疲れすぎて働かなくなる。寝静まった家にそうっと入り、さぁねるぞ~と暗い部屋に目がなれてきたころ

ベッドになにか乗っています

どうやらここは猫の寝床部屋であったらしく、でも猫アレルギーの私はイヤなので家主に気付かれないようよくおっぱらっておりました

最近は母猫はおなかが大きかった

うまれたか、こねこ??

でも、こねこにしてはカタチが小さい?

こねこの、下半身

片手、つめ

が、ベッドの足元の方に、放置されていたのです

「食われた」跡のネコ、ガ

ひいぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~~~~

もう、あのときの恐怖といったら。夜中で、寝ている人たち起こしたらいけない。でもこわい、あたしも寝たいけど寝れない、でもこわい、どう片付けたらいいの・・・

ひぃぃぃぃぃ・・・・・

小さく、泣きました。。。

「どうしたの?」

起きてきたのは、やっとやっと、帰ってきたアテ・ヴァンジー

ねこが、ねこが・・・・プサ・・・ワラン ウロ(ネコ・・・頭がない・・・)

○★▽◇○☆

結局アテ・ヴァンジーがシーツごとつまんで、えいっと家の玄関から外へ放ってくれました。お互い疲れてたから、もうその後は即 ZZZZZ

・・・

後にも先にも、フィリピン11ヶ月で一番の恐怖体験でした

たぶん、あの母ネコは私に仕返しをしたのでしょう

ごはんをくれと私の顔をみて鳴いていた、ネコの表情を思い出しました

「くれないのですね、それならば」

朝、玄関の外でそのままのヤツを、自分で片付けました

人にもこわくて、ずっと話せなかった・・・・

恐るべし、フィリピンネコ“プサ”

人はやさしいけど、動物は怖い国です フィリピン

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荷台

ジープの荷台から、人々の生活をみた。

人の生活。荷台に揺られていると、排気ガスすごい。そして、マニラもそうだけど。いろんなにおいがする。食べ物、し尿、etc..... 最初は「うっ くさい」と思わず鼻にしわを寄せていた自分。

私は荷物を運ぶ役にも立たないし、一緒に居たって力になれない。でもだからって、お客さんのようにイスに腰掛けているのはいやだ。全てに意志をもって、行動しているつもり。伝わるように、分かってもらえるように。そして、いつか本当に役に立てる人間になりたい。

だから、ぜんぶかごうと思った。いろんな、生活のにおい。この国のにおい。全部かいでやる。全部みたいし、全部、身体で覚えてやる。

乗り物にのると、考え込むくせがある。いつも何かしていないと、いられない性格。バスでもジープでも、のれば寝るか(フィリピンじゃまだ寝れない)景色をみながら、いろんなことを思い巡らすか。・・・難しい顔してたのかなぁ。

すごい渋滞。すれ違うトラックは、ほぼ日本製。よーくみたことのある、運送やのトラックとか、すこしなつかしい形のバス。あれ、こんなもの運んでいないでしょ?って突っ込みたくなる会社のロゴいりとか・・・中古がどんどん売られているのだろうね。

屋根にのぼっている人。よく落っこちないなぁ~おもしろい。ほんと、フィリピンっておもしろい。

・・・

なぜだか、今日私はとある「マシーン」をとなりの州までとりにいくための一行に“カサマ”を命じられた。(同行ってやつね。)午前11時出発の予定が、ドライバーが帰ってこないだ、お金がないだ、15時までうだうだやって、おじさんたちは飲みだす始末・・・結局出発したのは夕方だったかしら。。。

ご一行は、パイン畑のクヤ(兄さん)2人、アテ・ヴァンジーの旦那、私の4人が荷台に乗った。後は運転手プラスおばさん、先方とやりとりをしていたらしい、おやじが車内。

片道3時間、やっとやっと目的地に到着。農業省に関係あるらしい、そこでココナツを割る?ためのマシーンを古くなったからかなんだか、譲ってもらうらしい。しかし、マシーンがでかすぎる!持ち上がらないし、ジープ型の荷台の入り口は小さくて・・・どうするの?と思っていたら。解体し始めた、そしてどこからか、夜にも関わらず見ず知らずの男たちを助っ人に呼んできて・・・皆でえいこらさ、持ち上げ無事積み込みに成功!!!

手、人の力だけで、どんなに時間がかかっても(えぇ、どんなに。)協力して目標を達成してしまう姿に。やっぱフィリピン人すげぇ~と思った。

・・・・

帰りはのせたマシーンに荷台は占領され・・・途中、悪い道の振動で飛んでいかないか、ひやひやみんなで抑えながら夜道を走った。

旅ってふしぎ。たった数時間一緒にいただけだけど。

ふだん、仕事をしている人とはそんなに話せない。そして正直わたし、この村の大人がまだ好きになれていない、というか、心をひらけない。私が全部悪いのだけど・・・自分の話だけして、私の声をまったく聴こうとしてくれない。興味本位でみんな同じ質問ばかり。悪気はないし、親切なことに変わりはないのだけど・・・少しうんざり。。。でも、今夜いっしょに荷台の旅をした3人は、少しちがった。

最初はカモクだったクヤ・イトッグ。蛇のような、車の列を背伸びして「長~い」と連発。(これで、“マハバ”という単語を覚えた。)ぽつりぽつりと話はじめ。2人の娘息子のこと、最近うまれた3人目の子どものことを話してくれた。そうそう、出発前にそっくりな息子と娘が遊んでいる姿だけみた。

逆に、「わからない。」って言ってるのに、ひたすらタガログ語でしゃべり続けてくる、クヤ・アルヴィン。ケータイの使い方とか、いろいろ教えてくれた。めちゃめちゃ明るい人だった。たぶん・・・最初、私が不安そうに、じっと考え込んでいたからだと思う。そんな私を察してか。荷台に立って、一緒に景色をみた。木をよけた。途中から、忙しそうにTEXT(メールみたいなやつ)し始めたと思ったら、いとこが亡くなったんだって。でも、そんなそぶり見せずひたすら、ずっと明るく笑わせてくれていた。

アテ・ヴァンジーの夫は・・・荷台にも関わらず、イスを持ち込んでひたすら寝ていた(!)そして、渋滞のなか車上から道路におしっこしてた(笑)見た目こわい人で、ほとんどしゃべらなかったけど、みてて面白い人・・・

だんだん、この人たちのこと、すきになっていく自分がいた。「この人たちとなら大丈夫。」って、心が解けていったのだと思う。今まで、センターとかでは自分は子どもという、相手に対し心をひらいてもらおうと、はたらきかけばかりする立場だったけど。ここへきて徹底的に自分がマイノリティの立場になり、自分がはたらきかけなきゃいけない一方で、自分も相手に対し心を開いてく難しさ、というものを感じていた。

すこし、距離をちぢめられたのかな。

<6月5日 67日め>

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2009年6月29日 (月)

家族関係

だんだん、家族内の関係・状況もわかってきた。

長女のアテ・ヴァンジーを筆頭に、やっぱり彼女の力・信頼は大きいらしい。「彼女の客」というだけで、そのことを盾のように。私は見ず知らずの人しかいない(互いにとって)コミュニティで守られていた。

長女アテ・ヴァンジー・・・子ども3人

次女アテ・ラニー・・・子ども6人。30歳前半くらい

三女アテ・アニー・・・子ども2人。

四女アテ・エラ

長男クヤ・フィリップ・・・子ども1人(新婚さん!)

五女アテ・ピヤ・・・子ども2人(28歳)

六女アテ・パメラ・・・子ども2人(26歳)

そして、彼女らの母親であるローラ(おばあちゃん)・エバ・・・子ども7人プラス1人(50歳代前半)

みなさんが、ほぼ近所に住んでおられます。

さらに、ローラの兄弟、その子どもたち、近所・・・というコミュニティ。

ラニー家は、いつもジープの運転係り。野菜を積んで、マニラへ5日ほどの行商にいく。その間、6人の子どもたちは協力して家を守る。幼い1歳と4歳の子は父母についていくこともよくあるが、留守番もよくある。山の畑や馬の世話もある彼らの家庭では、長男・長女が本当によく働く。父親顔負けで馬をのりこなし、真っ黒になって芋を掘ってくるのは長男のオーマ(16歳、高校生)と女の子だが山を知り尽くしているネネ(13歳、小学5年)。もちろん末っ子ジャスミンのお父さん・お母さん係、兄弟のために食事もつくる。

真ん中のジェニリン(10歳)、ジョナサン(6歳)も洗濯に後片付け、ヤギの世話など本当によく、協力して家を守っている。あ、ケンカもよくするけどね。そして、、

プラス、私の世話。どこへ行くにも「カサマ」してくれる。「カサマ」って、本当にフィリピンでよく聞く言葉。“一緒”とか、“仲間”って意味なはず。本人がなにか忙しくて手が離せなくても、4歳の妹ジョリーンに「あなたがカサマして!」と・・・本当にお世話になっています。。。

一応、私はアテ・ヴァンジー家にお世話になっているのだけど。息子たち(11・5・3歳)がまだあまりなついてくれませんで、いつも裏のラニー家兄弟といっしょにいたのです。

家々により、微妙に経済状況はちがう。子どもが多ければ、当然のことたいへん。子どもだけで家を守っている、ラニー家はどうやらお金が底をつき、夕飯を食べなかったらしい。でも、ヴァンジー家では食べていた。

もちろんコミュニティ内で「助けあう」ことが当たり前、絆が強いフィリピンだけど。申し訳ない、はずかしいと思わないわけがないよね。食べずに、遊び続ける子どもたち。お客さんとして誰かがいつも「ちゃんと食べた?」と様子を伺いにきて、食料をわけてもらっている私。

ジェニリンが。さりげなく、でも本心で。

「お金、もってるの?」と聞いてきた。

まだ、アテヴァンジーとお金のこととかちゃんと話をしていないため。一応4月に会って話をしたときには、「滞在費はいい」といわれていた。サークル時代もそうだったし、お客さんはもてなしをうけるのがフィリピン文化。でもそれにしては長すぎるから「働きます!」とは言った。

よって、私は滞在費とか、現地でのお金は出さないようにしている。一ヶ月に必要な生活品(洗濯石鹸とかシャンプーとか)は持参してきたし。食事以外はお金を出す必要のないように。その代わり嗜好品は買わない。みんなと同じ食事を必ずいただくようにしている。

でも、すごく迷った。悩んだ。ここはちがう、経済状況が。でも、お金が絡んだら、今まで必死に身一つでつくってきた関係がくずれてしまいそうでこわい。まずは人と人との関係をつくること、が先決だと考えている。

でもでも本当に、ここに居ること、居ていいのか分からない。自信がない。周りの人々がみんな必死に働いている中で、とりあえずついていく、まねして手伝ってみることしかできない私。といっても、私にできるのは収穫したココナツを移動させることだったり、出勤はなくてもせめて人々と同じ時間におきて、朝家の前を掃き掃除してみたり。そんなささいなしごと。

だんだん、慣れてきた大人たちが私に決まって聞くのは

「マヤマン カ?」マヤマン=お金持ち

日本人イコール金持ちというイメージがある。この質問がすごく辛い。タガログ語でうまく答えられないのと、けして生活は楽ではないけれど、貧しい彼らに比べたら・・・で申し訳ないのと。辛い。私の一挙一動をみんなが見ている。期待や疑心が入り混じって。子どもたちだって。

早く帰ってきて、アテ・ヴァンジー!!!!

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2009年6月28日 (日)

山の上からみた青空

ひろいパイナップル畑。

青く広がる空。セミの声。

山の上のこの場所で、地べたに座ってぼーっとしてみた。ふと

あれ、今あたしはどこにいるんだっけ。

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まだ若い、ココナツの木。畑はこんな斜面にもあります。真ん中へんにうっすら見えるのが、「ラグナ・ベイ」

「アテリエコ~!!」子どもたちの声で、我に返る。こどもの頭ほどもある、大きなパパイヤがとれたよと、私に向かって手を振る麦わら帽子たち。走ってくる彼らを迎えようと、私も腰をあげた。

絵に描いたような、スイカを食べるように。パパイヤにみんなでかぶりつく。名前はよく知っていたけれど、日本で食べたことはなかったパパイヤという果物。いくつ食べただろう、お腹いっぱいもうイヤ~なんて。なんという贅沢。

うれしいな。たのしいな。

今までの私なら、そう感じていたかもしれない。

・・・・

イモック村滞在3日目。

毎日「今日はここ」「明日はあっちね」

と、人々が耕す畑のある、山のあちこちに連れて行ってくれる。案内してくれるのは、NGOリーダーで私を泊めてくれているが不在の「アテ・ヴァンジー」(4月初めて一度会った以来・・・)姉妹たち。たくさんいて皆、近所に住んでいるらしいが、まだ区別が・・・

三女のアテ・アニー(30歳)が毎日私を案内してくれる。コカコーラの空きボトルに入った飲み水と、ランチ用の炊き上がった米を、鍋のまま抱え、腰には鎌、ビーチサンダルで山を登っていく。そして彼女の2人娘(11歳、7歳)やその他、いとこらしき数人の子どもたちもお供。みんなで山を短パン、ビーチサンダルでひょいひょいのぼっていく。私も必死で、ついていく。

まだ、詳しいことはわからないが。

農業で生計を立てるということ。その厳しさは、家の様子や生活スタイルから「見て」分かる。食べるために働く、働いてはたらいてやっとお金が手に入る、という現実。

「農業を体験してみたい」そんな、遊び半分でこの地を訪れた自分が恥ずかしい。お遊びしている場合じゃない。日本でNGOというと、余裕がある人々が社会に対して啓発的に?行っているイメージがあったけれど。

マニラでみたNGOのキャンプ。あそこにいる人々が、この地へきて「戦う」人々なことに、気がついた。自分、すごいところにきてしまったようだ・・・。

まだ自分のことを自分で話せない。勝手にあちこちで、私の話が大人の間で飛んでいる気配はものすごくわかる。。。みんな親切で、やさしいんだけどね。

子どもたち。彼らだけが味方。最初は見た目のちがう私に、興味本位でよってきて、おかしいのか笑っては逃げていくだけだった。けれど今は、しゃべれず大人たちの世話になっている私を気の毒に思ったのか。友達として、認めてくれたのか。

山へいくときはもちろん、家から一歩出ればくっついてくる・・・のではなく。あくまで私の「ボディガード」として。5歳~11歳くらいの女の子も、男の子も。常に私を囲み、世話を焼いてくださります。日があたるよ、あっちへ行こう。ごはんだってよ、家に帰りな。そっちへは行っちゃダメ。などなど。。。

手でつくる「カエル」(両手の指を絡ませつくる。幼稚園時代に習得)を教えたら、大流行。まさか、ここで役立つとは。

未だに多すぎて、兄弟関係やどこの家の子なのかも不明だが・・・

とにかく家の周りでは、常に彼らと一緒。洗濯したり、持参したお話を読んだり。楽しい時間。

・・・

通りすがりの人々は、私を見ると「なんだコイツは」と、私ではなく案内役に決まって尋ねる。今までは、「日本人でアテ・ヴァンジーのお客さんだ」と答えられていたようだが。

今日の山からの帰り道。「カイビーガン ナミン」とかわりに答えてくれたのは、山でパイナップル畑を耕していたお兄さんと、子どもたち。「ともだち わたしたちの」って意味だよ。うれしかったなぁ。

すこしづつ、知っていきたい。人々の生活、その「厳しさ」の中身、背景。

そして私がここに居る理由をちゃんと知ってもらいたい、話せるようになりたい。

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こうやって、みんなでぞろぞろ山へ。

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2009年6月24日 (水)

6月1日旅のはじまり

家の前に並ぶイス。

色とりどりの洗濯物が、はためく。

子どもが駆け回る。動物があちこちを闊歩する。

思い描いていた、夢をみていた

「農村」での生活。

・・・

6月1日、大きな荷物を背負って、マニラの中心地にあるNGOオフィスへ向かった。8時に約束をしてあり、そこから先はすべてお任せ。農村の生活を体験したいこと、学びたいことをリーダーに伝えたのは5月の頭だったろうか。今まであったフィリピン人女性とはちがうオーラをもっていたその女性に魅力を感じた。まったく自分がこの1ヶ月どうなるか、予想がつかない不安もあったが。勇気をだして、飛び込もうと心に決めていた。

オフィス、といっても普通の一軒家?を他の団体と共に利用している。日当たりが悪く、じめじめしていた。いつものごとく、2回目であっても迷う。。。「ここだよ」と降りる場所を教えてくれた上、重い荷物もおろしてくれた、親切なジープの乗客たち。着くと、居たのは確か前にもいた、おじさん。待っててくれたのかな、と思いつつ、今日の約束を話すが「??」な様子でなにやら携帯でメールを・・・(こちらではtextテクストといいます。)

そして私を連れ、ジープに乗る。どこへ行くかと思ったら、なにやら私がいつも利用する最寄のジープ乗り地、「フィルコア」に戻った!!!(苦労して来た道!!)そして、いつも「なんだろう、あやしいな、こわいな」と思い通り過ぎていた

バリケード地帯?読めないが、人が書いた文字の大弾幕が張り巡らされた、路上のキャンプ?テント?(反政府、のにおいがぷんぷんする)に入っていく。そこでまた、私に今までついていてくれたおじさんは、またちがうおじさんに状況を説明し。おじさん②は、状況が読めていない様子だが、なにやら「わかった」といった感じで、身支度を始めた。

あれっつ?私はこれから、どどどなるの??

ご察しの通り、人々のやりとりは全て現地語なので、すべてがよく分かりません。でも、よくわからないけど、悪巧み、とか私を売る相談をしている雰囲気は全くみえないので。。。

とりあえず、今までついていてくれたおじさんにお礼をいい。彼は「いってらっしゃい」とばかりに、笑顔で。。。仕方ない、次はこの人か~とまた新たなおじさんと出発しました。

今度は、バスでバスステーションまで行き。そこから長距離と思われる、バスにさらに乗り込んだ。

あー来てしまった、わたしはもうここがどこかも分からない。どうしよう。どうしよう。やっぱり、不安がおそってくる。でも、「私はこの一ヶ月、ちがう場所に身をおく、もっともっとフィリピンの人々の生活に浸るって決めたんだ。」と自分に言い聞かせた。そして、よくわからないけど、となりのおじさんに自分がなぜフィリピンにいるか、どうしてこれから農村にいこうとしているのかを、一生懸命話して聞かせようとした・・・気がする。

高速道路?を過ぎバスを降りると、もうマニラの都会的な雰囲気とはうって変わった風景。交通量は激しいが、狭い一本道沿いに背の低い家や建物が並び、看板が目立つ。バスから乗り換えたジープには、枕を持参したおばあちゃん2人と、兄弟らしい子どもたちのグループが乗っていた。外国人の私に驚いたようすだったが、連れのおじさんがなんだか、得意そうに私をどこかへ連れて行く最中なことを話しているらしい。見知らぬ人との会話が弾むジープに、「田舎へきた」という実感がわいた。

どうやらその家族は、夏休みをどこか別の場所ですごすための長距離移動中だったらしい。だからおばあちゃんたち、まくら持参だったのか。おしりいたくなるもんね。

やっと、少し心が落ち着いてきて、子どもに名前をきいたり、目での会話を試みていたところ。ジープをまた乗り換え、降りた先がもう目的地のラグナ州「イモック村」だった。

やっとやっと、あの女性に会えるのかな?と期待をするが・・・どうやら不在らしい。。。かわりにだんなさんだという、またおじさんが出迎えてくれた。というか、今まで知っている「ウェルカム!」な雰囲気ではなく。「きたか。」という感じ、だったかな。

とにかく、どうやら、私がそこへ到着することはつい数分前にみんな知ったんじゃないのか?ってほど、なんだかあちこちから、こそこそ「どうするよ、あの子?」「韓国人だって?中国人じゃないの?」「アテ・ヴァンジーの知り合いらしいよ」etc.......あわてている雰囲気気、、、人々の、遠くからもどこからも、私をのぞきこむような目線を感じる・・・

とりあえず、見せなきゃ、っていう計らいだったのだろう。すこし休んで市場?に連れて行ってもらった。おっぱいを飲ませながらのお母さんが4歳位の子も、2人も連れて。それと親戚らしい、もう一人のおばさん。私に興味はあるけど、なんて話したらいいかわからない、と困った様子だったな。

もう、このあたりからは旅の疲れと緊張と、不安でもう頭がいたくなっていた・・・そして自己紹介やらなにやら、説明しようとするがだれも聞いてくれない・・・英語が通じないのだ!!そして、最初に思い描いていた農村のイメージ、そのままだけど。

イコール楽ではない生活、というのが建物や、人々の服装や、肌の色や、その他いろいろなこのコミュニティの状況、よくまだわからないけど感じられる。「外国人」に対する偏見、というか慣れていない故の壁を皆もっている、ことも。

こりゃ、たいへんだ・・・・・(結論。)

今までのようにゆっくり書き物をする机もなければ、鍵のかかる「ここだけは自分の空間」という部屋もない。(一応カーテンで仕切ってある部屋のベッドを貸していただいたが、子どもがいつも興味深そうに覗いてくる・・・)

力がまったく入らないから、もう今日は早く寝て、明日からがんばろう。シャイなだけで、悪い人たちではなさそう。子どももたくさん、距離をおいてはいるがよってきてくれる。英語はダメっぽい。言葉ではなく、行動で自分を伝えるしかなさそうだ。でも鍵とかないから、気をつけないといけないこともたくさんある。まずは慣れなくちゃな。そして、

ここへ来た意味をみつけるよ!!

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