2009年10月 2日 (金)

甘いだけじゃないSweet

その日の仕事は、ふもとの街で、結婚式につかうのだという

「ブコサラダ」(まだ若いココナツの果肉の、細いスライスとフルーツのサラダ。コンデンスみるくでめっちゃ甘い)

用ココナツの収穫だった。

私が今まで会ってきたほとんどの農家は、「注文」や「街に行商にいく」という単発仕事に応じて、の収穫作業が主だった。
シーズンにもよるだろうけど、出荷とかじゃないからスケジュールもない。
その日ぐらし。

お父さんが木に登って、息子が下で割り、お母さんが中身を削る。

暑くて、することないし。先に家に入るように、って言われたけど。
セシルも帰りたそうだったけど。


何もできなくても、暑さ大変さを、肌で感じたい。
この家にこさせてもらった意味を、時間ないけど。
見出さなくちゃ。うまく言葉でつたえられない、私を姿から理解してもらわなくては。
じりじり肌を焦がす太陽の下、同じ土の上で時間を過ごした。

・・・

昼ごはん、ジェフリーって16歳兄ちゃんの手伝いをした。
アンパラヤ(ゴーヤ)の葉っぱとモンゴ豆の、緑味のスープ。
妹のロレーナ(10歳)といっしょに、庭のカラマンシー(小さいスダチみたいなの)を収穫した。


サラダ用に加工して、収穫したブコ。どう届けるか、が問題のようだった。
結局、私たちの出発といっしょに、エルマー兄ちゃん(18歳)が担いでいくことに。

お兄ちゃん、たとえ荷物運びでも、街へ降りるからお気に入りの服着て、香水つけて髪の毛立てて、おしゃれも準備万全。



歩いて、家を出発した。
時間は正午すぎ。
太陽は真上で影もなく、恐ろしく暑く陽射しの強い、道をひたすら歩いた。

セシルは疲れ足取り重く、失速していく。
ブコが詰まった重い箱を、肩の上に担ぐエルマー兄ちゃんも、辛いはずだ。自分のペースを守りたい。
距離が離れていく2人のあいだを、どっちつかずと歩く私。

お兄ちゃん、一緒じゃなければもっと楽だったろうに。なんだか申し訳なかった。
2人を無事に街まで、送っていかなくてはという責任も、ブコにくわえて重かっただろう。

話しかけるのもわるい、でも暑くて重くて辛い・・・
何か、できないものか。考えた私は、
歌うことにした(!?)

最初は、なんか知ってそうな、英語の曲。カントリーロードとか、ビートルズ系。
しかしネタも限られている上、疲れて英語もでてこなくなる・・・
もう、やけくそ?で、知ってる日本のJ-popを片っ端から、、
aikoからスピッツ、キロロにウルフルズ・・・宇多田ヒカル・・・一人カラオケ。。。

エルマー兄ちゃんの背中に向かって、へたくそでも気休めにしてくれ!と
歌い、歩いたのでした。

1時間以上、炎天下の中を歩いただろうか。
不意に、街の方角から、バイクに乗った彼の友人がやってきた。
連絡を聞きつけて、迎えに来てくれたのだ。



「のりな。」
汗をダラダラ、息もはずんで辛いはずなのに。
ためらいもなく、エルマー兄ちゃんは初めて見せてくれた笑顔で、
友人のバイクにあたしとセシルを乗るように、促した。

うれしい、もう歩かなくていい。
でも、兄ちゃんは、まだ、この恐ろしく長くて暑い道を一人歩き続けるの?

申し訳なさ過ぎて、でも言われるまま乗って。
バイクでウソみたいに風をきる中で、ずっと考えていた。

2人のよく知らぬ、なにをしにきたかもよく分からないやつを、
重いもの持ってる自分より先に、行かせてくれたのだ。



「フィリピン男は“Sweet”」
いう表現を、きいたことがある。
実際優しいし、日本人なら恥ずかしくてできないような、優しさを甘ったるいと感じることもある。

でも、「弱い者に優しい」は、あたりまえのように
小さい男の子から、大人までわきまえている。それって、すごいと思った。

マニラでも、ジープは女性やお年寄りをかならず座らせてくれる。
重い荷物は、必ず男が持つ。

田舎の村で、まだ小さい赤ちゃんが、みんなにkiss kissされている場面をよく見る。愛情をいっぱい受けて、成長するから。
貧しくても、家族で協力することを知り、優しくておおらかに育つのかもね。

兄弟は多いほうがいい!結論!!10人は遠慮したいけど・・・

フィリピンでの“Sweet”は、「やさしい」「甘い」
「思いやりがある」
いっぱい該当する。

いったいどの訳が、妥当なのだろう。

・・・

でこぼこ道は、3人乗り50ccバイクを降り。
ゴルフコースを横切った。「カンルーバンゴルフコース」って、たぶん日本人とかよくいるんじゃないかな?
街のちかくには、きれいな家々。
完全に、分けられている社会 を感じた。


バスストップについて、すぐに友人は今度こそエルマー兄ちゃんを迎えにいった。
着いて、しっかりお礼がいいたかったのに。
すぐ、どこかへぴゅーっと、遊びにでかけた。

また、18歳イマドキ兄ちゃんに戻ったのね、よかったよかった。いっぱいあそんどいで。笑
フィリピンらしいや。

急にお葬式によることになって、
そんなこんなで最終日は夜中の12時ころ、マニラのNGOオフィスに戻った。
私の、農村トリップは終わったのだ。

着いたら、スタッフの皆が笑顔で迎えてくれた。
アテ・バンジーの旦那、もと軍人で片腕・片眼のダニーが
「何を感じた?」「どう思った?」「何が問題で、解決方法は?分析できたのか??」
酔った勢いで、質問攻めにしてきた。

聞かれるのはあたりまえ。そして、私もこんなにいろんな家庭に、スタッフに、人々にお世話になって。答える責任があるのは、わかってる。

でも、その時かろうじて口からでたのは、
どれも陳腐な言葉、ばかりで。



・・・

なんだろう。やっと、何がわからないのか、わかった感じだった。
きちんと話せたわけじゃないし、ぜんぶ理解できたなんてウソだけど。

その土地、その土地で、人々の暮らしにいれてもらって。
最初は自分、「お客さん」「ガイジン」でも、だんだん手伝ったり、いっしょにご飯食べて寝るうちに、
「リエコ」として見てくれる、まなざしがやさしくなって。
私も、なにもできないけれど、おんなじ場所と時間を過ごして。
言葉にならない、形もない、でも大切なものを、ものすごく
収穫させてもらった。

一旦は区切るけど。
もっと勉強、理解したいと心から思った。
関係をつづけていきたい、出会った、出会えた人々と。

【6月28日 87にちめ  ラグナ州カランバ市バラグバグアラウ村⇒ マニラへ】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月30日 (水)

ビサヤ人とわたし

タガイタイ観光をし、次の村までまたレイさんのトライシクルで送ってもらった。

ホルナランとも、同じ町にあるバラグバグアラウ村は、もっともっと、もっと緑が多かった。

なだらかな山道だが、ひたすら日が照りつける。
車の通れない道を、ひたすら歩く。

次にお世話になる家のお父さんが、近所のお宅でテレビをみながら待っててくれた。
「近所」なはずだけど、距離は全く近所じゃない。。。

お父さんのタタイ・ヴィクトールは10人子どもがいる。
でもそのうち6人は、もう結婚しておうちをでていた。
最近結婚したらしい、息子夫婦の写真が家の壁にかざってあった。

年頃今ドキ兄ちゃん2人と、男勝りと末っ子やんちゃ娘、の2人がいる、シャイ家族。
すごくすごく、私の訪問に対して、家族皆が戸惑っているのがわかった。

そんななかで、就学前の末っ子娘が私を指差し

「この人が、ビサヤ人??」

一同「!!!!!?」

ビサヤとは、フィリピン諸島を大きく3つに分けたうち(ルソン・ビサヤ・ミンダナオ地方)
の一つ。実際、話されている言葉もちがうし、文化もちがったりする、らしい。
でも一応フィリピンの一部だし、フィリピン人にとっては同士だ。

でも、就学前の子どもにとっては
「自分たちとちがう人=ビサヤ人」なのかー。

日本だろうがアメリカだろうがロシアだろうが、インドネシアだろうが彼女にとっては同じで。
「自分とちがう」の人は、同じ国の中にいる、どこかで聞いたことのあった「ビサヤ人」と一緒なことを知った。「外国」という概念がない、その子どもの発想に驚いた。
面白かったし、新鮮だった。

あたしがビサヤ人か。笑

水道も、電気もない地域。
夕方、水牛にタンクを積んで、お兄ちゃんが川へ水を汲みに行った。
まだ明るいうちに夕食を済ませ、夜はろうそくの明かりで日記を書いた。

あたしより、一緒にきてくれたセシルが、直射日光の下歩きや水道のない生活に苦心してた。
「なんで水道ひかないの~??」「村で申請運動すればいいじゃない。うちもそうやったのよ。」
そう提案するセシルに、

なんだか、よく似ている情景だと思った。

とりあえず、秀でていると自負している側の者が、その立ち居地から
自分たちの生活水準まで、相手を引き上げよう、引き上げることをよしとする、構図。
あたしも前は、それに異存はなかったと思う。

でも今は、なんだか違和感を感じてしまう。
完全に、相手の側にたって生活してみた結果の今。

同じ国の中でも、格差というか、そういう関係がある現実なのだな。

携帯をしきりにいじっていて、私にかまってくれない兄ちゃんたち。
電気もないテレビもない、の世界で携帯は、友だちと「つながる」ことのできる、
フィリピン人にとって夢のよう、魔法のような道具なのだと感じた。

【6月25日 86日め @ラグナ州 カランバ市 バラグバグアラウ 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月25日 (金)

バックライド・トリップ

ギンティン村の朝。

川へ、水浴びにいった。

着替えとタオル、シャンプー、もって普通に。
あと、よく小学校のプールでみんな使ってた
「てるてる坊主」

Cocolog_oekaki_2009_09_25_10_10

防水布のてづくりを貸してもらった。こんな格好して、乙女たちは、よちよち谷をおりていく。。。

川にはもう先客が。なんか、銭湯みたいだった。せっけんかして~みたいな。笑
いっしょに洗濯物ももって降りて、洗濯している人もいる。川が
生活の源、か。

次の目的地があるので、アテ・パメラのおうちは一晩でおいとま。
イモックでもよく会うんだけど、そこではやっぱり末っ子で23歳の、若いパメラ。
いつもお姉さんたちにいろいろ相談している姿を目にした。



おうちにお邪魔したときはやっぱりホストとして。いろいろ気を遣ってもてなしてくれた。
しっかり、私のお母さんみたいに世話を焼いてくれた。すごいな、年かわらないのに。
12月に生まれる予定の赤ちゃん。会えるといいな。

・・・

ギンティン村は、「タガイタイ」という有名な観光地のふもとにあったらしい。
なぜなら、今日はこれからタガイタイ観光をすることが、アテ・ヴァンジーから命じられたプランなんだって。(セシルいわく)

そこまでの交通手段は、セシルのいとこのトライシクル(サイドカーつきバイク)ドライバーが連れて行ってくれるという。その人がつかまらず、昨日はもめていたらしい。

今日はちゃんときてくれた、ドライバーのレイさん。タガイタイ周辺で主に、観光客を乗せるのが仕事だ。

タガイタイは、高地にあるちいさな村で、自然公園がある。世界一、ちいさいといわれる火山によってできた湖を、てっぺんの展望台から見下ろした。避暑地になっているくらいだから、涼しくて気持ちがいい。

00720010

奥の方にうっすらと見えるのが、たぶんタール火山。

00720008

セシルといとこ同士でもある、ドライバーのレイさん。
セシルは走るときはこわい!って、トライシクルのサイドカー部分に入っちゃう。

“ビジター コ!”(おれの客さ!)

っていって、レイさんは、いろんなところに愛用トライシクルで連れて行ってくれた。
さすが、どこへいってもいる彼の知り合いが
「おっ、きたか~」
「誰だい、その子ら」
って、気軽く話しかけてくれて。レイさんもうれしそうに紹介してくれた。

観光地ってやっぱり外国人はぼられるんじゃないか、とか。
すぐおみやげ売りがよってくるんじゃないか、とか。
変に気を張らないといけないから、すきじゃなかったしあまり行きたいとは思わない。

でも、今回はフィリピン人の友人たちに囲まれて、旅のお陰で身なりもよれよれで(笑)
「私がマニラでみる外国人は、もっときれいでお金もってそうよ!」
とセシルにいわれるくらい。


仲良しのいとこ同士、セシルとレイさんの仲間にいれてもらえて、すんごく楽しめた。
そう、観光も楽しかったのだけどね。

いちばんすてきだったのは、レイさんのバイクの後ろに乗って、風をきって走ったこと。マニラでもたまに乗るけど、こんなにスピードださないし、空気きたないし。
運転はこわいけど、上手い人の後ろに乗って、ただ自分は身を任せて景色を楽しんで、顔に風をあてるのだいすき。

青空のした、緑の道をかけぬける、
バックライド!

最高でした^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

100%フィリピン

ホルナランを出発して、カランバという大きな街で、次の目的地に向かうジープを探す。
すぐに見つかったが、ここでの(というか、マニラ以外で)ジープ運行は

「満席になったら」

らしい。まだ10時半ころについた私たちは、ジープストップにあるベンチで、ひたすら待った。

ご親切に、テレビが添えつけられていて、そういう時はたいてい必ずDVDの映画が放映されている。(海賊版)
蛇のはなし。最初は小さかった蛇が、どんどん人を食ってでかく成長し、人が必死に戦うが喰われる、というパニック映画系。
血みどろなんだけど、なんかちゃちい・リアル感がない・・・が憎めないフィリピン映画。
これ見たの(公共の場で)3回目くらいな、気がするんだけど。。。
なぜに人気?

2時間まって、出発したジープはぴょんぴょん飛び跳ねるような山道をゆく。
ふもとにあった、元大統領の邸宅や、大きな工場を通り過ぎた。

途中の大学からは、若者たちも乗ってきた。

1時間くらい、揺られていただろうか。ずいぶん、街からは離れた場所にある村みたいなところについた。

カサマ(付き添い)してくれてるセシルも初めての場所らしく。地名で降りてからも、どこへいったらよいか分からない。

一緒におりた、大学生らしき兄ちゃんが、ちいさな声で
「案内するよ。」
と言ったように聞こえた。先頭に立って歩いていく後ろをついていく。


やっと到着。でも、住人がいないらしい・・・。

となりのお宅のおばさんが、ランチを用意してくれた。
ジープの兄ちゃんといい、近所のおばさんといい。
地域の人はみんな知り合いで、自分の客人じゃなくとも、親切にしてくれるんだ。

その日もどこかへ行く計画があったらしいけど、家人が帰ってこないので。
そのまま、集まってきた近所の人と話したり、ミリエンダをごちそうになったり。
まったりしてるんだが、落ち着かない時間をすごした。

夕方、近くの村祭りにいっていたらしい、夫婦が帰ってきた。
やっとわかった、次の私のホスト!
アテ・ヴァンジーの一番下の妹、パメラ夫婦だった。
本人たちに、やっぱりわたしの訪問は伝わってなかったらしい。
「まだ来週かと・・・」驚いていらっしゃった。

旦那さんの実家である、このギンティン村に住んでいる。まだ一歳くらいの娘と、お腹にも赤ちゃんのいるママ、パメラは23歳。

・・・

この地域には水道がない。
でも、きれいな水が川に流れていて。毎日朝夕、人々は水を汲みにいくようだった。
わたしも、中くらいの容器を抱えて、水汲みに連れて行ってもらった。
谷というか、川におりていく道は狭くて細い。帰りは水を持って重いから、休み休み。
毎日は、大変な重労働だ。

夜は、パメラの旦那さん、クヤ・オーランのお母さんが作ってくれたシータウ(インゲン)のスープ。たいていみんな入れる、「クノール」マークのお手軽化学調味料をいれていなかった。
おいしい、っていったら喜んでくれた。

夜、暗くなるとテレビのあるパメラ家には近所の人が集まってくる。
遊ぶっていっても、夜は交通手段ないし、お金もかかるし
田舎はみんな、近所のテレビのある家へ集まって一緒にテレビ観賞。
テレビは大勢が一度に楽しめるから、フィリピンで急速に普及してる。
冷蔵庫やガスや洗濯機がなくたって、みんなお金があったら一番にほしいのは、テレビと携帯電話だ。
日本の「三種の神器」とはちがうね。

近所の若者たちも集まってきて下さった。。。ジープから道案内してくれた兄ちゃんもいた。どうやら仕事を探しに街へいってたらしい。

20歳くらい、おんなじ世代の若者たち。仕事がないから家で牛の世話をしているって兄ちゃん。
からかって、友だちが「コイツ、ママから離れられないんだぜ~」って言ってた。
彼は「家族をおいていけないよ、」って。本気だ。海外へ出稼ぎへいく手段もあるのだろうけど。

どこへいっても、若者の悩みは仕事がないことだ。

・・・

みんなが私を全力で「送って」くれる、大玉おくりのように。
けど、いつもどうやら上手くいってない・・・
けど、いつもどうにかこうにか、ゴールまで目的達成させてくれるんだ。
おくれても、めちゃめちゃに計画狂いながら。

フィリピンタイムどころか、100%のフィリピンライフを経験しているみたい、わたし。

85日め 6月24日 カビテ州 ギンティン村


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月23日 (水)

のんびりホルナラン

Dscf1086_6

まだ夜明け前、おとなりさんの家の前から朝焼けをみるのがすきだった。

裏のナス畑へお母さんとお兄さんの収穫お手伝いへついていった以外は、家と家のまわりを子どもとうろちょろ。

隣のペッチャイ畑(若い白菜の葉)に、街で野菜をうるバイヤーたちが自ら収穫をしにきていた。




今日もの~んびり。そうだよね、アテ・セシル。家に帰っているんだもん。
ゆっくりしたいよね。

彼女はまだUNORKA5ヶ月、それ前は日本の会社で働いていたらしい。でも給料がよくなかったと言っていた。
クヤ・ジュンや、アテ・ヴァンジーとはすこしNGOにいる意味が。ちがうのかもしれないな。

昨日は雨でずっと家の中にいたから。手伝いができるでもなく、シャイな家族となかなか近づけないけど・・・
必要以上に突っ込んでこないし、あたしも大人数を相手に力をいれようとも思えなかった。

でも、英語をつかって話をしてくれたり、お皿のごはんつぶをきれいに食べるようになってたり。高校生のお兄ちゃんがお皿を流しまで運んでくれたり。
あたしの行動をみていてくれているのがわかる。
お皿洗いを手伝ったら。お姉さんが
「助かったわ」って。いってくれた。

Dscf1085_2

真ん中がレンで、左が妹のマクシン。
4歳の彼女はすごい、言葉の吸収時期らしく。
お兄ちゃんやお母さんたちの言葉をきいては、一生懸命真似して口に出す姿。

あ、あたしもきっと、あの子のように、今まで耳できいて、理解する言葉を頭の中で貯めて、ためて。
すこしずつ口にだして、それを繰り返して繰り返して、という子どものように言葉を浴びて、習得しているのだな。と気がついた。

・・・

今日まで、いろんな家庭にお邪魔して、いろんな家族の形をみてきた。
私はほんの、二日でまた次の地へ行く。別の家族に会う。
どこへ行っても歓迎してくれて。大切に“VISITOR”として扱ってくれる。
でもわたし、かわりにみんなを喜ばせるとか、楽しませる、とかひとりじゃできない。

泊まり歩くだけだけど、移動して、その家いえに自分を順応させることでいっぱいいっぱいになってしまう。

家庭ごとに微妙にちがう経済状況。
この家では水浴びさせてもらってもいいかな。ここの家での洗濯はやめておこう。
ここの家の水は気をつけた方がいいかもしれない。

でも、誰もがわたしに興味をもってくれて。来た事をよろこんでくれて。
しあわせだ。
ぜったいに、忘れちゃいけないね。この気持ち。

子どもたち、私がいつもスケッチブックを持ち歩いているの真似して。
街で白いお絵かき帳を買ってもらってきていた。


仲のいい、居心地のいい家族だったな。
3日め、出発の朝は末っ子ジョナサン(13)のたんじょうび。
家族みんなが、まだ寝ている彼の周りを囲んで、歌いながら起こしてた。



耕作用のバカ(牛)の車にのせてもらったよ。
雲がながれるのをみていた。きれい。
嵐のすぎさったあとの、ほんとに気持ちのよい、日でした。

Dscf1089_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「なにもしない」をする

バギョ=嵐

の日は、「なにもしない、ねる」だってさ。

6時ころなのに、まだ暗い朝。寝静まっている、部屋のなかをそおっとあるいて
窓から外をみた。

Cocolog_oekaki_2009_09_23_10_01

椰子の木が、絵に描かれたように、雨風でしなっていた。
外にニワトリの親子がいて、ママニワトリが羽根でひよこたちを守っていた。

そとに出れないほどのバギョは初めて。これぞ嵐だ~と、ずっと外を眺めていた。

気がつくと、一緒に住んでいるセシルの甥っ子、レン(8歳)も隣で一緒に。

「台風がくると、早く家に帰れる!」
小学校の頃、授業が中止になって、下校の校内放送が流れるのを期待していたっけ。
昼なのに薄暗くなってくると、怖い反面何かおこりそうで、わくわくしてたなあ~
そんな気持ちを、思い出した。

でも、ニュースを見たら「シグナル3」で、まだそれほどらしい。。。


ベッドへ戻り、まだ寝ているセシルを揺さぶる。
「起きないの~??」
「今日は嵐だから、ねるの!!」
「!?」


確かに、そとへは出れないし。そして、太陽がでていないせいでいつもより涼しい。
あ~雨の日は気持ちがいい!

そういってセシルはまた寝てしまった。

そうか。わたしも、今日は「何もしない」を満喫してやろう。
何年ぶり?

人様のお宅で、こんなにのんびり、寝ていていいのかしら・・・
それが気がかりだったのだけれど。
まあいいや、寝てしまえ!

と、わたしもいつもよりひんやり、気持ちのいいベッドにもぐりこんだのでした。

6月22日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月21日 (月)

あらしのよるに

さぁ、つぎはどこへいくのやら。

朝から雲行きがあやしいと思っていたら。
雨が降り出し、昼には大嵐。
そのはず、「バギョ(台風)」がやってきたから。

雨の中、迎えに来てくれたのは

アテ・セシル。NGOのスタッフで、会計係のちっちゃい彼女。

Photo

Photo_2

彼(彼女?)が!クヤ・ジュンです。(上院議院前でデモ中の気合を入れる演説してるところ。)

ふたりは大の仲良し。
会った瞬間の、うれしそうな姿といったら!
毎日会ってるのに、話がつきない中学生みたいに。きゃーきゃーいってて微笑ましかった。
いつかあたしも、この会話に入っていけるくらいの語力がほしい。だいすきなふたり。

・・・
今度はアテ・セシルが私の旅に同行してくれる。
まずは、やっぱり、彼女の実家だって!

Photo_4

クヤ・ジュンのカビテ州、シラン村
から
アテ・セシルのおうちはホルナラン村へ。イモック村のあるラグナ州へ戻る

セシルの家までは、平らな平原が広がる。
ジープでとうもろこしに、ナスに・・・背の高い植物の畑が広がっている間のごとごと道を走る。
あたしが漠然と思い描いていた「農村」
がここにはあった。

ここにはどんな人たちが住んでいるのかな。ストーリーがあるのかな。。

マニラと違ってジープの中は、
「あら奥さん!」
「少し見ない間におおきくなったわね!!」
ご近所さん同士の会話が弾んでいる。
帰宅ラッシュ?の車内は工場の制服をきた女工さんたちがたくさん乗っていた。この辺は日本の企業もたくさんあるらしい。

セシルの家は、上は38から下は12歳、兄弟7人とお母さん、セシルお姉さんの子ども(セシルの甥・姪っこ)もいっしょにくらす、大家族だった。隣にはお母さんの兄弟、セシルのおばさん夫婦も住んでいる。


ベッドに3人、セシル姉妹にはさまれて寝た。

私が先に寝ちゃうくらい、久々に兄弟7人そろったから彼らの話は尽きない尽きない・・・
仲良し大家族だけど、お父さんは早くに亡くなったらしい。

セシルがいてくれるし、家族はシャイだけど温かい。
なんだか久々に、安心した。
雨がトタン屋根に響く音も、心地よい。

夜が更けるにつれ、だんだん台風はひどくなっていった。
真っ暗で、風が強くてごうごういってて、大雨で。
これぞ「あらし」フィリピンの、バギョか。

あまりのすごさに、何度も目が覚めた。

そのたびに、いろいろな夢をみたのを覚えている。


おばあちゃんが、もう随分前に亡くなっている私の、本当はひいおばあちゃんなのだけど。
夢にでてきてくれたの。
母方の祖父母のお母さんが2人。

うれしくって、みんな(たぶんフィリピン人)に紹介しようとして
いつも呼んでた「おばあちゃん」の意で「ローラ」っていったら、
ひいおばあちゃんはちがうや、まちがえた~

って後で思い出している夢。

・・・

あ、
応援にきてくれたのかもしれない。

て、わかった。

よしえおばあちゃんと渚おばあちゃん。

2人で仲良く、あたしのこと見にきてくれたんだね。

元気でやっているかね、身体にきをつけてくださいよ、

ってね。
ありがとう。あたし、がんばる。

・・・

嵐がすごい。
だいじょうぶかな、イモック村の木の家。伸びはじめたゴーヤのつるの棒、
なすの芽。
みんなにも、はやく会いたいな。

6月21日 ホルナラン村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月12日 (土)

ナナイ・イワイのおうち @カビテ州アドラス村

ナナイ・イワイ(イワイお母さん)のおうち。カビテ州アドラスという村にきている。

土地を争っている農民たち、というくらいだから畑もあるのかと思っていたけど。
もう随分前から耕作はあきらめて、工場や海外への出稼ぎに頼っている人たちらしい。
普通に、家が立ち並ぶ集落だった。
クヤ・ジュンたちの川沿いのスクウォッターとはちがう。

もう子どもたちは大きくなっているから、旦那さんとふたりで住んでいる。
でも娘・息子夫婦の家も近所にあり、一つの家とは別玄関でつながっていたのがフィリピンらしいところ。
突然のおかしな客人に、ナナイ・イワイの孫たちは大はしゃぎ!?でうれしい歓迎なのだけれど・・・

連日の猫アレルギーによる鼻水大量・寝不足で体調不良、の私はイマイチ力が入らない。
到着早々、昼寝をさせてもらった。

夜、日本に会社の研修で数ヶ月滞在したことがあるという、娘さんに会った。

必ずどこか新しい場所へ行くと、こういう
「日本にいったことがある」「日本語がしゃべれる」
という人たちを知り合いだ、娘の婿だ、なんだといって探し出し?てきてくれるフィリピンの人々。

正直、戸惑う。なぜなら他の人たちのように“憧れ”ではない、本当の日本を知っていると思うと、少しこわくなるからだ。

でもこの女性は、幸い純粋に「企業研修」を受けていたようだった。
同僚たちと楽しそうな寮での生活、休暇にディズニーランドや、温泉に旅行にいった写真を見せてくれた。
「この日本人のボスがカッコよくてね~」
懐かしそうに、当時の恋心も語ってくれた。

すこし、安心。。。

現在は彼女の夫はアラブ方面へ出稼ぎにいっているらしい。彼女もまた、海外へ働きにいきたいといっていた。

・・・・

【6月20日 2日にちめ】

・・・ここ数日、やはりお腹の調子がわるい。
普通にみなさんといっしょの時間に起きて、子どもたちが学校へいくのを見送った。
ふっと一息、、
情けないが、またベッドに入らせてもらうことに。

起きたら、NGOメンバーたちに集まってもらい話を聞きましょう、とのこと。

昼前の遅い午前。うとうと目が覚めた頃、家の表の方から人の話し声が聞こえた。

「韓国人だって?」
「研究者らしいわよ」
「コンピューターを抱えてきているのかしら」
「★○×※・・・」

なんだか、あることないこと、あきらかに私に対する噂話、が聞こえる・・・
ナナイ・イワイが呼んで集まってくれた、メンバーの方たちらしい。

わ~そんなんじゃないよう。。でていきにくい。。。

すみませんね~ご想像とちがって。な、
紙と鉛筆のみ、若干体調不良、寝起きでよれよれした残念な感じ、のただの小娘はおそるおそる外へでていきました。

「・・・・。」
さっきまでの言いたい放題はぴたりと静かに。

メンバーというか、ナナイ・イワイの井戸端会議仲間っぽいナナイ達が6人くらい集まって、丸くなって座って私を待っていてくれた。
さすがリーダー、ナナイ・イワイは強気にさくさくと、英語を交えてどうしたらよいかもじもじしている、私のかわりに話をききだしてくれる。

といっても、聞き取れたのはやはり、
仕事がない、生活が苦しいという悩み。
もうすぐ土地所有権に関する裁判をひかえているということ。
大変、どうしたらいいの、という苦難の顔。

と思ったら、いつのまにか、
賭けにタバコ、ビンゴやポーカーの話になっていた・・・


・・・

ランチはお隣の、一人暮らしだというおばあさま、アテ・ハニィの家へインバイトしていただく。
驚いた。ちいさな家だけど、ひとしきり冷蔵庫に台所用具、食器棚やテーブル、イスまでそろっている。
海外に出稼ぎをしている、息子さんが買ってくれたそうだ。

でも、一人はやっぱりなんだか、さみしそうだったな。



【6月21日 3日め】


シャキシャキリーダーのナナイ・イワイは、家ではやさしいおばあちゃん。
昼間は働いている娘・息子たちの代わりに孫たちの面倒をみる。
おもらしした末っ子の、おしりペンペンもしてた。

Text(携帯メールみたいなやつ)が好きだといって、こんなふうに送るのとまだよく使いこなせない私に

Kumusta ka na?⇒ Muzta?     (お元気ですか?のタガログ語)

若者顔負けの省略メールの打ち方を、教えてくれた。おちゃめ・・・


・・・

クヤ・ジュンが約束どおり、迎えにきてくれた。

二晩お世話になった、御礼をいい。次の目的地へと出発する。
「Textしなさいよ、日本に帰る前にまた寄りなさい。」とナナイ・イワイ。
まだ熟していない、立派なパパイヤをおみやげに持たせてくれた。


のんびりと、過ごさせてもらったナナイ・イワイ家。
かなりいきなり、行き場のなくなったらしい私を受け入れてくれて、本当に感謝でした。

おかげさまで、お腹も体調も回復。
数多すぎて、あまり子どもたちと遊べなかったのが残念だけど。
深刻な状況だといいながらも、歌い話し、明るくくらす人々にたくさん出会えた。


でも、農業100%で暮らすイモック村の人々の生活と比べると・・・
明らかに、農業ができず、他の仕事に携わっている人々の生活水準のほうが上なきがしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月10日 (木)

素顔

6月、私はマニラ南隣の州、ラグナ州イモック村に農民NGOを通じて滞在している。
最初の一週間は必死に、新しい環境での生活に慣れること、自分を現地の人々に認めてもらおうと、子どもの後ろにくっついて動き回ることで精一杯。農業を営み、生計を立てることの厳しさを目の当たりにした。

2週目に初めて、農民NGOの活動である、デモ行進に参加して下院議院前に座り込む。
少しずつ、人々との距離も縮まり、フィリピンペースにもなれて力を抜いて過ごすことができるようになった。

3週目、農村から首都マニラへ行商にいくジープに、パイナップルに埋もれながら同行する。イモック村以外の、農民NGOメンバーの地域を渡りあるくことになっている。

・・・

「クヤ(お兄さん)ジュンが連れて行ってくれるから。」
「??」
「あのバクラね」

イモック村の私のホストでもあり、NGOにも受け入れてくれた、リーダーのアテ・ヴァンジーはこういって微笑んだ。
今回も彼女に同行するのかと思いきや、彼女は明日からジャカルタへミーティングのためにたつらしい。

クヤ・ジュンは
くりくりのパーマがかかったような、ロングヘア。いつもポニーテールかお団子にきれいにまとめている。首にはストールを巻いていて(この暑いフィリピンでも)おしゃれ。ひと目みれば、誰もが
「バクラ!」
と思うだろう。バクラ、日本語でいえば「オカマ」というところでしょうか。
服装も髪型以外は男だけれど、なんとなく、笑ったりはしゃぐ姿が「ぽいな・・・」とは思っていた。

彼とバスターミナルに向かう途中。「買うものがある」といってスーパーSMに入った。
缶の粉ミルクと着るものを買いたいらしい。「僕のベイビー」のため、連発する彼に、私は品定めを手伝いながら、

「バクラでも、奥さんも子どももいるんだ。」疑うことなく思った。

これから、彼の故郷カビテ州に連れていってもらう。NGOが協力して、裁判で争っているという地域はやはりマニラより少し南で、ラグナ州の隣でもある。彼の実家に連れて行ってくれるらしい。移動中のバスの中、
「息子と奥さんにあえるんだ~うれしい^^」
といった私に彼は、
自分は独身で、ベイビーは兄弟の子だといった。
でも両親はいないから、自分が親代わりなのだと。
ごくふつうに、話をしてくれた。

クヤ・ジュンの家は、川沿いを下ったところにある、木でできた家、というより小屋だった。年老いた両親が、ベイビーと一緒に待っていた。昼食をだしていただき、水道はなく水亀からすくった水。

この地域一帯はすでにディベロッパーの手にあって。家を建てることも禁止されているので仕方なく、川沿いに掘っ立て小屋のような家を立てて人々は暮らしているらしい。
はじめてみた、マニラ以外での「スクウォッター(不法占拠)」住宅。

近所の家を訪れると、仕事のない人々は集まって談話に花を咲かせていた。クヤ・ジュンの姉だという女性にもあった。いきなりの訪問者に驚きながらも、コップいっぱいのオレンジジュースを出してくれた。

やっぱり、全く英語は通じない人々。でもクヤ・ジュンが居てくれるから、ある程度私の素性、ここへ来た理由について説明してくれる。初期イモックの人々のような目ではみられない。でも、何も言えない自分に悔しくて仕方がなかった。
せめても、と、この頃していた自己紹介は

アコ ポ シ リエコ。ハポネサ アコ。

私はリエコです、日本人です。これを繰り返してた。。。

・・・

今日は私、どこで泊まらせてもらうんだろう。そう思っていたところへ、クヤ・ジュンは出発しようと言った。
彼の家では私を寝かせることはできない、というらしいので、どこか他へ行くらしい。

次に訪ねた私を泊めてくれるらしきお宅、ずっと携帯で連絡をとっているらしかったのだけど、なんだか上手くいかない様子。。。
なにやら玄関先で一通りはなした後、
「行こう。」
引き返した。

あれ、あたし、、、行くところなくなっちゃったみたい。。。

しかしクヤ・ジュンは、次の目的地へと進む。

またちがう集落の、着いたお宅。「若いおばあさん」が迎えてくれた。
のでは明らかになく。驚いて、でも事情をきいて
「いいわ。」と私を泊めることを受け入れてくれたようだった。

そして、クヤ・ジュンは仕事があるから、マニラに戻るのだと言った。

マニラまで、バスで2時間と安くはない交通費。
正直、不安だけどただ、ひたすらクヤ・ジュンにありがとうをいって。

・・・

なんだろう。今まで、NGOのスタッフとして、親切にしてもらっていたけど。彼の家を訪れて、家庭の事情とか、抱えている問題とかを知って。正直、「オカマの人・・・」というフィルターもあったに違いない。
でも、彼は、日本だったら人には言わないだろう、隠してしまうだろうそういった部分を、外国人の、それもまだ知り合って間もない私にも見せてくれた。分けてくれたとも言えるだろうか、その彼の心の広さをすごいと思った。
ものすごく、彼が私に家族を紹介してくれたこと、家へ連れて行ってくれたことが嬉しかった。
そして、彼のちょっとオカマっぽい仕草やしゃべり方、だからこそ一緒になってキャーキャーいえることを楽しいと感じて。。。
今まで持っていたバクラ(オカマ)と呼ばれる人たちに対する偏見なるものが、なくなった気もした。
もしかして、かなりすてきな人たちなのかも、なんてね。

当事者もそうだけど。スタッフもみんな、いろいろな想いがあってこの仕事をしているのだろうな。



素顔をみせること。私にはまだまだ、自分から知り合って間もない人にみせることはできない。でも相手に自分を理解してもらうには。また、相手を理解するためには。素顔で接することの大切さを学んだ気がした。
なぜって?もう私自身、気付いたら彼を信頼し、尊敬してた。

・・・

また2日後に迎えにくるよと行って発った、彼を見送った。

正直不安。。
さあ。これからどうするわたし。

6月19日 カビテ州一日め

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 4日 (金)

ピンニャに埋もれて

00720011

なんだかわかる?この写真。
空色のジープに積めこまれているのは。

「ピンニャ」ことパイナップル。

イモック村の特産品です。
知ってた?植えてから収穫までに、13か月もかかるという。ちょうど収穫シーズンの今、あちこちの畑から収穫されてきたピンニャたち。マニラで売るために早朝、イモック村を出発しました。

わたくしも僭越ながら、ピンニャ様ご一行の便に同乗させていただきました。
それはそれは車内が甘酸っぱい香りに包まれ、またピンニャの皮のとげとげに始終つつかれくすぐったいという、なかなか愉快な走行でした。
高速道路も重さのせいであまりスピードが出ないから、もし衝突されてひっくり返ったら、あたしピンニャに埋もれて窒息死するのかなぁ・・・なんて心配はよそに、事故は起こらなかったものの。あと500メートルで売り場のあるキャンプに到着、、
ってまさにマニラ首都圏内の、二車線大通りで

空色ジープは動かなくなってしまった!!

重量オーバー&空色ジープがポンコツだったことからでしょう。。。
エンスト&タイヤのパンクで道の真ん中立ち往生。かろうじて道の端っこにジープを移動して、そこでしばし待機・・・

どこからか別の、人間を普通に乗せて走ってるジープを呼んできて。そこからは、なんと。
みんなで「ピンニャリレー」開始!!
バケツリレーのごとく、道の一応端っこだけど、あきらかに走行を妨害するような位置で、ピンニャをひとつひとつ、ジープからジープへ、パスにパスを重ね移し替えたのです。

そばを「何事だ??!」と目をまるくして通過していく他の走行車。
運送屋とおもわれる、トラックの運転席に座った3にんぐみの兄ちゃんたちは、
私たちの山のようなピンニャと、彼らの車内に一つだけあったミニ・ピンニャ(かざりとして置いてあったのだろう)を交互に指差し、大笑いしながら通過していった。

無言の「おめぇら、すげえ!!」に、
「すごいでしょ」得意になって、笑顔で応えるわたし。

もう、そこに、売り場はみえてるのに!こんな場所で、こんな労働を・・・
ってふつうだったら思いそうだけど。なんだか、間抜けすぎて逆におかしくなってしまって。みんなでほいさほいさと楽しく、大事なだいじなピンニャを救出したのです。

無事、ピンニャ救出成功、空色ジープもひっぱっていってもらって。
マンガみたいだった。なんて愉快なんだろう。



アクシデントは日常茶飯事。予定どおりにいかないことに不安や、苛立ちを最初のころは覚えていた自分。

どうしようもないから、道の真ん中にあぐらをかいてぺたんと座っていつもと違う景色を楽しんだり。いつのまにか、同乗してたドライバーの子どもの世話係になってておしりふいてあげてたり。改めてフィリピン人の明るさに感心しながら、

「思いどおりにいかない」を楽しめている自分に気がつきました。



・・・・
でもこの後は、幸いちかくだった寮に一泊だけ寝に帰る。。。
実は動物アレルギーの鼻水が限界で、昨夜は寝れず疲労MAX。明日からの農村周遊トリップにそなえて下界に戻ったのでした。

静かで、清潔な「わたし」の空間。おちつく、けどあまりの別世界に違和感。

6月18日 79日め

| | コメント (1) | トラックバック (0)